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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

下関の地名5 彦島の“字”と“小字” 

彦島の“字”と“小字”


「山口県地名明細書」には、彦島の“小字”を次のように収録しています。

海士郷
牛が鼻(うしがはな) 脇ノ田(わきのた)

本村
大江(おおえ) 鋒江(ほこえ) 鋒崎(ほこざき)

後山
長崎(ながさき) 安藤田(あんどうだ) 江向(えむかい)

堀越

鎌崎(かまさき) 杉田(すぎた)江ノ浦(えのうら)

弟子待
行田(おこなで) 山中(やまなか) 角倉(すまくら)

田ノ首
塩田(しおた) 山床(やまとこ) 生板(なまいた) 西ノ脇(にしのわき) 大山(おおやま) 生板瀬(なまいたせ) 鳴瀬(なるせ)

福浦
硴崎(かきざき) 塩谷(しおや) 安舎(あんじゃ) 鋤崎(すきざき)


荒田(あらた) 萩原(はぎわら) 佐崎(さざき) 小迫(こざこ) 飛渡(とびわたり) 中西(なかにし)

西山

阿武(あぶ) 山合(やまごう) 波高(はだか) 長無田(ながむた) 伊無田(いむた) 

南風泊
渡瀬(わたせ) 瀬戸(せと)

宮ノ原
出口(でぐち) 老(おい) 田尻(たじり) 小戸(おど)


「下関の地名」下関市教育委員会刊行より
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Posted on 2018/02/26 Mon. 12:08 [edit]

category: 下関の地名

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前原一成 

図説 萩・長門の歴史 より
前原一成
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Posted on 2018/02/26 Mon. 12:06 [edit]

category: 図説「萩長門の歴史」

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萩城鬼瓦 

図説 萩・長門の歴史 より
萩城鬼瓦
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Posted on 2018/02/26 Mon. 12:04 [edit]

category: 図説「萩長門の歴史」

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解体寸前の萩城 

図説 萩・長門の歴史 より
解体寸前の萩城
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Posted on 2018/02/26 Mon. 12:02 [edit]

category: 図説「萩長門の歴史」

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多々良隊イ47潜 

回天記念館 概要・収蔵目録より
多々良隊イ47潜
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Posted on 2018/02/26 Mon. 11:58 [edit]

category: 回天

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神武隊イ58潜 

回天記念館 概要・収蔵目録より
神武隊イ58潜
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Posted on 2018/02/26 Mon. 11:56 [edit]

category: 回天

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千早隊イ44潜 

回天記念館 概要・収蔵目録より
千早隊イ44潜
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Posted on 2018/02/26 Mon. 11:55 [edit]

category: 回天

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千早隊イ370潜 

回天記念館 概要・収蔵目録より
千早隊イ370潜
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Posted on 2018/02/26 Mon. 11:53 [edit]

category: 回天

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千早隊イ368潜 

回天記念館 概要・収蔵目録より
千早隊イ368潜
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Posted on 2018/02/26 Mon. 11:51 [edit]

category: 回天

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下関の地名4 彦島 

引島は彦島


 むかし、下関と門司の間は陸続きで、その下に小さな穴が開いていた。外海と内海の潮は、その穴を行き来して流れていた。
 ある時、神巧皇后が大軍をひきいて、三韓との戦にお出かけになろうとすると、下関と門司の間の山が、突然、海に落ち込んで水路が出来た。落ちた山は、急流に押されて西へ流れ、一つの島になった。
 ちようどそのさまが、山を引き分けて海峡を作ることにより生まれたように見えたので、その島を『引島(ひきしま)』と名づけた。


 また、こんな説もある。

 むかし、彦島と伊崎とは陸続きであった。
 外海と内海の潮の流れは、大瀬戸の海峡を通っていたが、いつのまにか、伊崎の山の下を浸食して小さな穴を作ってしまった。
 その穴は急潮のため、少しずつ大きくなり、やがて、ついに山を海中に陥没させてしまった。
 だから、胃までも空から見ると、伊崎の岬が彦島の太郎ヶ鼻を引っぱっているような感じを与える。『引島』という地名はそこから来ている。


 さて、引島は、ひくしま、と呼ばれたり、ひきしま、とか、ひけしま、と呼ばれたりしたが、読む人によってその読み方が違っていた。
 そこで神代の昔、彦炎出見尊(ほりでのみこと・海彦山彦の話)が天から降られて兄神の釣り針をを魚に取られ、それを探すために海士となって海に潜り、竜宮へ行かれたという神話の地が、この島であるというわけで、『引島』を『彦島』と改めた。

 しかし、その後も、彦島は、ある時は引島と呼ばれ、ある時は彦島と、その呼称は一定しなかった。

 これではいけない。というわけで、寛永十年(1633年)長府藩主、毛利秀元公が、むかしの名前の『引島』に戻してしまわれた。
 それからというものは永い間、この島は引島と呼ばれた。


 時は移り、天下泰平の世の中に、黒船がやって来て、開国を迫るようになると、日本全国が騒然としはじめた。
 この島の近くも、『海防策』とやらで、あちこちに砲台が築かれ、人びとは攘夷実行に突き進んで行った。
 その文久三年(1863年)の春、長府藩主はきっぱりお命じになった。
「引島は、関門海峡の門戸に当たる。そこに引くという名は武事に忌む。依って、本日より、引島を彦島と改めるよう」
 それは、三月七日であったという。その日から、この島は正式に彦島と呼ばれるようになった。


富田義弘著「平家最後の砦 ひこしま昔ばなし」より
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Posted on 2018/02/26 Mon. 11:48 [edit]

category: 下関の地名

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関門連絡船 

北九州思い出写真館より
関門連絡船(昭和30年)
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Posted on 2018/02/26 Mon. 11:46 [edit]

category: 北九州

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関門連絡船 

北九州思い出写真館より
関門連絡船(昭和39年)
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Posted on 2018/02/26 Mon. 11:44 [edit]

category: 北九州

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関門連絡船 

北九州思い出写真館より
関門連絡船(昭和初期)
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Posted on 2018/02/26 Mon. 11:43 [edit]

category: 北九州

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関門連絡船 

北九州思い出写真館より
関門連絡船(大正末期)
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Posted on 2018/02/26 Mon. 11:41 [edit]

category: 北九州

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関門連絡船 

北九州思い出写真館より
関門連絡船(明治40年)
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Posted on 2018/02/26 Mon. 11:40 [edit]

category: 北九州

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