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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

初めての新聞報道(昭和20年3月26日) 

「回天」の誕生から実戦まで

初めての新聞報道(昭和20年3月26日)

「回天」による特攻作戦は極秘であったため、作戦が開始されても当分の間、国民には発表されませんでした。
最初に出撃した菊水隊の攻撃結果が公式に発表されたのは、昭和20年3月24日で、その翌々日の3月26日には、それを報道した新聞が発行されています。
航空機の特攻作戦である「神風特別攻撃隊」の戦果が、出撃後、数日で行われたのとは対照的でした。


基地回天隊(昭和20年3月~)

戦況が厳しくなっていく中、昭和20年の春になると、本土決戦のための準備が進んでいきますが、日本側は当初その日を、20年の夏から秋にかけてと予測していました。
その段階で、既に艦船、航空機と消耗してしまった日本にとっては、海からの特攻に頼ることしかできなく、そのために配備計画されたのが基地回天隊でした。
この基地回天隊とは、敵国が本土上陸してきそうな海岸付近に穴を掘り、その中に「回天」を隠しておき、実際に敵艦艇が近づいてきたら出撃するというものでした。
最初の基地回天隊は沖縄に配備されることになりましたが、「回天」を掲載し、その搭乗員たちが乗船していた第18輸送船は、アメリカ軍の潜水艦からの攻撃により20年3月に沈没し、搭乗員たちも戦死してしまいました。
その後、八丈島をはじめとして四国や九州の海岸に11地点、88基の「回天」が配備され本土決戦に備えましたが、出撃することなく終戦を迎えることになります。

戦果

現時点で分かっている回天戦による主な戦果は次のとおりになります。参考文献はこちら※3
なお、日本側の戦死者は、回天搭乗員106名、回天整備員36名ほか合計145名(訓練中の殉職者、戦後の自決者を含める)で、さらに回天戦に参加した未帰還の潜水艦は8隻で、その搭乗員数は811名を数えます。


戦果 艦名 攻撃隊名 年月日
撃沈 艦隊随伴タンカー「ミシシネワ」 菊水隊 1944年11月20日
兵員揚陸船「LCI‐600」 金剛隊伊36 1945年1月12日
護衛駆逐艦「アンダ-ヒル」 多聞隊伊53 1945年7月24日
損傷 輸送艦「カリ-ナ」 天武隊伊47 1945年5月4日
護衛駆逐艦「ギリガン」 轟隊伊367 1945年5月27日
攻撃型輸送艦「マラソン」 多聞隊 1945年7月21日
大型駆逐艦「ロウリ-」 多聞隊伊58 1945年7月27日

WEBサイト 回天記念館より
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Posted on 2018/02/11 Sun. 12:56 [edit]

category: 回天

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神棚 

ああ回天写真集より
基地内に設置されていた神棚
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Posted on 2018/02/11 Sun. 12:55 [edit]

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黒木大尉の遺書 

ああ回天写真集より
黒木大尉の遺書
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Posted on 2018/02/11 Sun. 12:52 [edit]

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黒木大尉 

ああ回天写真集より
回天に乗り込もうとする黒木大尉
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Posted on 2018/02/11 Sun. 12:49 [edit]

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殉職者の碑 

ああ回天写真集より
殉職者の碑
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Posted on 2018/02/11 Sun. 12:47 [edit]

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連合艦隊徳山港入港 

ああ回天写真集より
連合艦隊徳山港入港(昭和10年)
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Posted on 2018/02/11 Sun. 12:44 [edit]

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徳山港防衛図 

ああ回天写真集より
徳山港防衛図
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Posted on 2018/02/11 Sun. 12:41 [edit]

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出撃そして回天戦(昭和19年11月8日~) 

「回天」の誕生から実戦まで

出撃そして回天戦(昭和19年11月8日~)

「回天」の初めての出撃は、昭和19年11月8日、菊水隊と名づけられた部隊から始まります。
その攻撃目的地は、アメリカ軍機動部隊の前進拠地であった西カロリン諸島のウルシー泊地と、パラオ諸島のコッソル水道となり、そのエリアに停泊中の敵艦隊を目指して、伊36潜水艦、伊37潜水艦、伊47潜水艦にそれぞれ4基ずつ、合計12基の「回天」が搭載されて出撃していきました。
その隊員の中には黒木大尉と一緒に「回天」の開発に取り組んだ仁科中尉の姿もありました。
その後、20年8月8日までに4基地から9の部隊が編成され、延べ145人が出撃し、80人の搭乗員が「回天」とともに戦死していきました。
なお、通常の魚雷による攻撃か、「回天」による攻撃かを選択するのは潜水艦長の判断となり、魚雷による攻撃が可能な距離まで目標艦船に近づけるなら魚雷戦を挑み、近づけない場合は、回天戦を選択することになります。

戦死した搭乗員の内訳
内訳 人数
出撃等で戦死された搭乗員 87人
訓練時の事故で殉職された搭乗員 15人
基地において空襲被弾された搭乗員 2人
戦後、自決された搭乗員 2人
合計 106人
潜水艦で出撃した搭乗員の内訳
内訳 人数
実際に回天戦にて戦死した搭乗員(a) 45人 (a)(b)の合計80人
母艦が未帰還で回天戦で戦死されたか
確認できない搭乗員(b) 35人
出撃以外で亡くなった搭乗員
(再訓練中に殉職) 2人
母艦とともに帰還した搭乗員 23人
合計 105人

WEBサイト 回天記念館より
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Posted on 2018/02/11 Sun. 12:34 [edit]

category: 回天

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維新発祥の地 

下関・維新物語 清永唯夫著より
維新発祥の地
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Posted on 2018/02/11 Sun. 12:32 [edit]

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満珠干珠 

下関・維新物語 清永唯夫著より
満珠干珠
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Posted on 2018/02/11 Sun. 12:30 [edit]

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長府藩報国隊顕彰碑 

下関・維新物語 清永唯夫著より
長府藩報国隊顕彰碑
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Posted on 2018/02/11 Sun. 12:25 [edit]

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豊功神社 

下関・維新物語 清永唯夫著より
豊功神社
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Posted on 2018/02/11 Sun. 12:23 [edit]

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了円寺 

下関・維新物語 清永唯夫著より
了円寺
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Posted on 2018/02/11 Sun. 12:19 [edit]

category: 維新のけしき

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鬼の墓 

鬼の墓


 舞子島の西側に、大きな眼鏡岩がそびえ立っておる。
 むかし、この海岸は多くの鬼どもの根城であった。鬼どもは朝に夕に、眼鏡岩にのぼっては沖を通る船を監視しておった。そして、荷物をたくさん積んだ船が通りかかると、小舟を漕ぎ出して、さんざん掠奪をくり返した。

 そのやり方が、あまりにあくどいので、ある日、テントウ様がお怒りになり、鬼どもをこらしめることになった。
 その夜、鬼どもが総勢集まって円陣を組み、酒盛りをしておると、一天俄かにかき曇り大嵐となった。その上、雷までが頭のすぐ上をころげ回った。
 鬼どもは大慌てでわれさきにと逃げはじめたが、時はすでにおそく、次つぎに落雷して、ことごとく死んでしもうた。
 ところが、死骸となった鬼どもの表情は、ほとんどが赤ん坊のように柔和にあどけなく美しかった。

 それをみたテントウ様は、
『鬼も、死ねば天に還るか』
 と、つぶやかれて、眼鏡岩のそばに鬼の死体を集めて、ねんごろに葬られた。
 しかし、その数は思っていたよりもはるかに多く、とうとう大きな山になってしまった。テントウ様は、死体の山に土をかけ、その冥福をお祈りになった。

 やがて、この浦にものどかな春がやってきて、人びとは鬼の墓のことを『丸山』と呼び、眼鏡岩の近くの岩屋を『鬼穴』と呼ぶようになった。


富田義弘著「平家最後の砦 ひこしま昔ばなし」より

(注)
舞子島近くの海岸線は、約三千万年前の浸蝕がそのまま残されていて、奇岩怪礁の地であるが、この付近は、今でも『鬼崎』と呼ばれ、『テトリガンス』を『鬼穴』と呼んでいる。
眼鏡岩や『丸山』は、通称、ドックの浜に、現在もそのままの形で残っている。
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Posted on 2018/02/11 Sun. 12:17 [edit]

category: ひこしま昔ばなし

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講堂 

早鞆百年史より
講堂
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Posted on 2018/02/11 Sun. 12:15 [edit]

category: 早鞆高校

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