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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

左眼が細い 

左眼が細い


 今から八百年も昔の話。

 ある秋風の身に沁む夕刻、里の西南の海から、一筋の光が立ちのぼっているのを漁師が見つけた。漁師は早速、島の人びとに知らせ、人びとは河野通次にも報告した。
 大急ぎで駆けつけた通次は、矛を片手に海中に飛び込み、光を指して泳いだ。そして、その中ほどに矛を突きさすと、八幡尊像があがって来た。尊像の背面には、河野八幡、と刻まれていたが、いたわしいことに、矛は尊像の左眼を貫いていた。

 さっそく通次は舞子島に祠を建て、光格殿と名付けて島の守り本尊にしたが、そり以来、彦島の十二苗祖と呼ばれる人びとは、代々、現在に至るまで左眼が細いといわれている。


富田義弘著「平家最後の砦 ひこしま昔ばなし」より
(注)
『サイ上り神事』が明鏡であるのに対し、こちらは『八幡尊像』となって居り、しかも『河野八幡』と彫られてあったという所が、どうも出来すぎている。
 また『左眼が細い』という話の他に、『右眼が二重瞼であるのに対し左眼は一重である』と伝える説もあるようだ。
『硯海の楽土』という本によれば、明鏡を引き揚げたのは矛という記録と網であったという記録とがあるという。
 しかし、『サイ上り神事』や、『左眼が細い』などの伝説を尤もらしくさせる為には、やはり『網』でなく、『矛』でなければならないだろう。
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Posted on 2018/02/01 Thu. 14:58 [edit]

category: ひこしま昔ばなし

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挙手の礼で見送る 

ああ回天写真集より
挙手の礼で見送る
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Posted on 2018/02/01 Thu. 12:03 [edit]

category: 回天

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連合艦隊司令長官からの短刀授与 

ああ回天写真集より
連合艦隊司令長官からの短刀授与
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Posted on 2018/02/01 Thu. 12:01 [edit]

category: 回天

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別れの盃 

ああ回天写真集より
別れの盃
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Posted on 2018/02/01 Thu. 11:58 [edit]

category: 回天

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上官から鉢巻をしてもらう隊員 

ああ回天写真集より
上官から鉢巻をしてもらう隊員
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Posted on 2018/02/01 Thu. 11:56 [edit]

category: 回天

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お地蔵さん 

ああ回天写真集より
お地蔵さん
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Posted on 2018/02/01 Thu. 11:54 [edit]

category: 回天

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彦島の氏神【彦島八幡宮】 

彦島の氏神【彦島八幡宮】


屋根の銅板が美しい緑色をみせている「彦島八幡宮」は、彦島の氏神として、多くの人々に親しまれています。

平治元年十月、河野通次が自ら祭りの主となって宇佐神宮より、分霊を勧請したものと伝えられ、別の名を「灘八幡」「子安八幡宮」ともいわれ、航海安全、安産の神様として、広く知られています。

秋の大祭には、八百年前から伝えられている「サイ上り神事」が行われます。
「サイ上り」とは「サァ上がらせ給え」と云う言葉が変化したものといわれ、市の無形文化財に指定されています。

この神事は、彦島開拓の十二苗祖の一人である河野通次が、舞子島の海中から、御神体を引き上げた故事に始まると伝えられ、今もなお十二苗の子孫の人達が、武具甲冑を身に付け、祭りに参列します。
この日だけは、日頃通れない、三井東圧の構内を通り抜け、海岸に出ると、そこには古い鳥居があります。

境内には、縄文時代の始めごろの遺跡である「宮ノ原遺跡」があり、この地の古さを物語っています。

また、仲哀天皇が弓を立てられたという松の碑があり、ここにも仲哀伝説がありました。

八幡宮の近くには、海水浴場があり、夏には多くの海水浴客でにぎわいます。


下関市教育委員会編「わがふるさと見て歩き」昭和58年発行
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Posted on 2018/02/01 Thu. 11:50 [edit]

category: わがふるさと見て歩き

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桃ヶ丘校舎校門 

早鞆百年史より
桃ヶ丘校舎校門
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Posted on 2018/02/01 Thu. 11:48 [edit]

category: 早鞆高校

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初代校旗 

早鞆百年史より
初代校旗
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Posted on 2018/02/01 Thu. 11:44 [edit]

category: 早鞆高校

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阿部ヤス書扁額 

早鞆百年史より
阿部ヤス書扁額
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Posted on 2018/02/01 Thu. 11:11 [edit]

category: 早鞆高校

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桃ヶ丘校舎 

早鞆百年史より
桃ヶ丘校舎
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Posted on 2018/02/01 Thu. 11:09 [edit]

category: 早鞆高校

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阿部ヤス 

早鞆百年史より
阿部ヤス
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Posted on 2018/02/01 Thu. 11:06 [edit]

category: 早鞆高校

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身投げ石 

身投げ石


 海士郷桟橋の裏手の丘は、小戸山と呼ばれています。その北側の中腹、小瀬戸海峡に突き出たあたりに、大きな岩が海面からそそり立っています。
 それが伝説で名高い『身投げ石』で、岩の上には幾つもの五輪塔やお地蔵様がまつられています。
 むかし、壇ノ浦の合戦のあと、平家の一武将の妻が海峡の潮に流されて、小戸の浜に打ち上げられました。
 不思議に一命をとりとめた妻は、御裳川の藻屑と消えた夫を慕って毎日、小戸の岩にのぼり、武将の名を呼び叫んでは泣きつづけました。
 再び戻って来る事の無い夫を呼ぶその姿に、浦びとも、つい貰い泣きする始末でした。
 ある風の吹きすさぶ夕暮れのこと、女は、狂乱したように大岩にかけのぼって、東を伏し拝みました。そして、大声に何かを叫んだかと思うと、そのまま渦巻く小瀬戸の流れに身を投げてしまいました。
 浦びとは、女の死を悲しみ、岩のそばに小さな祠を建てて供養しました。
 その後、誰いうとなく、大岩のことを『身投げ石』と呼ぶようになったということです。



富田義弘著「平家最後の砦 ひこしま昔ばなし」より
(注)
 下関と彦島を隔てる海峡は、正しくは、小瀬戸海峡であるが、一般には、小門海峡と呼ばれている。
 そして、下関側の伊崎には『小門』という地名があり、その対岸、彦島の地名は『小戸』である。どちらも『おど』と呼ぶ。
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Posted on 2018/02/01 Thu. 11:04 [edit]

category: ひこしま昔ばなし

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ふぐちり 

聞き書山口の食事より
ふぐちり 萩
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Posted on 2018/02/01 Thu. 11:02 [edit]

category: 山口の食事

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酢みかんいろいろ 

聞き書山口の食事より
酢みかんいろいろ 萩
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Posted on 2018/02/01 Thu. 11:01 [edit]

category: 山口の食事

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