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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

彦島さんぽ122-10 海士郷 

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Posted on 2013/05/09 Thu. 16:27 [edit]

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彦島さんぽ122-9 海士郷 

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Posted on 2013/05/09 Thu. 16:25 [edit]

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彦島さんぽ122-8 海士郷 

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Posted on 2013/05/09 Thu. 16:24 [edit]

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彦島さんぽ122-6 海士郷 

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Posted on 2013/05/09 Thu. 16:18 [edit]

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国東治兵衛のい草 

国東治兵衛のい草


 治兵衛(じへい)は、いまから約二百五十年前に、上遠田(かみとおだ)に生まれた。
 四十さいになったころ、農作物が実らんで、大人も子どももうえに苦しんだことがあった。
みんなは近くの権現山(ごんげんさん)に登って、わらびの根をほってうえをしのいだちゅうんじゃ。
 治兵衛は、なんとか村人たちを救い、村をゆたかにする方法はないかと思いなやんだ。そんな時、頭にひらめいたのが、たたみ表に使うい草をさいばいすることじゃった。い草は、治兵衛のそせんが代々住んでいた豊後(ぶんご)の国でさいばいしていた。治兵衛は、豊後の国からなえを求めて帰ると、自分の家の下手の浴(えき)に植えた。い草は、次第にはんしょくして、道行く人たちをおどろかせるほどに、村一面の地を青々とおおった。遠田の土地は、い草をさいばいするのにちょうどよかったんじゃ。
 それからしばらくして、治兵衛は、備後(びんご)の国でもい草の生産がさかんに行なわれていることを知って、さっそく、なえを分けてもらおうと出かけていったんじゃが、ここではかんたんに手に入れることができなかった。だれでも持ち出してはいけないことになっていたんじゃ。

 それでも、治兵衛は、村から村へ。「うえに苦しんでいる農民のために、一かぶのい草のなえを分けてください。」と、村の家々をかけめぐったんじゃ。そして、とうとうある家で、一かぶの苗を分けてもらうことができた。治兵衛は、この苗を、節をぬいた竹づつにこそっと入れると、竹のつえに見せかけて持ち帰ったんじゃ。遠いところを歩いてもどるんじゃけえ、苦労して苦労して、それでも村の人たちのことを思いながらもどったんじゃ。
 備後のなえが、遠田の土地に一番よく合っていた。やがて、い草のさいばいは村の新しい産業となり、人々の明るい声がもどってきたということじゃ。


『益田の民話』より
協力/益田の文化を育てる会 永見 勝徳(敬称略)
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Posted on 2013/05/09 Thu. 09:42 [edit]

category: 日本の民話

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