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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

橋で結ばれる【竹ノ子島】 

橋で結ばれる【竹ノ子島】


彦島は橋によって結ばれ、陸続きになっていますが、竹ノ子島とも西山の西部から橋で結ばれており、地名からくる島のイメージが薄らいでいます。

竹ノ子島は、地名からして、竹ノ子がたくさん自生するのだろうと思いがちのかたもおられますが、彦島在住の郷土史家冨田義弘さんによると、家の周囲に「小竹の生垣」を張りめぐらした家が多く、このことから地名がつけられたのだろう、ということです。

竹ノ子島に残る伝承は豊富です。
その一つに、嘉永二年、吉田松陰が藩命によって海防巡視をしており、島に造られた台場を視察しています。
「南風泊から小舟に乗り移り竹ノ子島に渡り一ノ台、二ノ台、六ノ台を視る。
…この島の戸数は23軒、石高六石五斗…」と記しています。
六ノ台跡には、明治43年に潮流信号所が建てられ、今日まで「台場ケ鼻通航潮流信号所」として役目を果たしています。

現在、竹ノ子島の町名は、彦島竹ノ子島町で世帯数は82世帯。

竹ノ子島の変化に富んだ海岸線をゆっくり散策されるのはいかがでしょう。
六連島、北浦海岸、小倉北区日明の眺望もできます。
バスは竹ノ子島行きでどうぞ。


下関市教育委員会編「わがふるさと見て歩き」昭和58年発行

Posted on 2019/01/03 Thu. 11:54 [edit]

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ロマンを秘めた決闘の島【巌流島】 

ロマンを秘めた決闘の島【巌流島】


唐戸から船に乗り潮風に吹かれて10分もすると「船島」に着きます。
島の形が船に似ているところから、この名が付きました。

島に上がると「龍神・地神」の碑が、祠の中に並んで建っています。
対岸は平家ゆかりの彦島で、たくさんの造船所があり、大小の船が見えます。

明治43年に建てられた「佐々木巌流之碑」がひっそりと建っており、悲運の剣客、巌流をしのぶかのように、誰が供えたのか、季節の花が一輪風にゆれていました。

この島は、別名巌流島として知られていますが、その由来は、慶長17年4月13日、世に名高い宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘した所です。
闘いに敗れた小次郎の「巌流」という号をとって、それ以来「巌流島」と呼ぶようになりました。

ここから眺める関門橋は一段と美しく、その下をフェリーや外国船が往来する風景は絵のようです。

決闘のロマンを秘めた無人の島も、昭和55年に全島10万平方メートルの内、6千平方メートルが「巌流島憩いの広場」として、ひろく市民に開放され、いろいろなたのしい催しが行われています。

わずか700メートルの海峡の中に浮かぶ小さなこの島は、また最適な魚釣りの場所として多くの人々が釣りを楽しんでいます。


下関市教育委員会編「わがふるさと見て歩き」昭和58年発行

Posted on 2019/01/02 Wed. 11:39 [edit]

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彦島大橋を仰いで【老の山】 

彦島大橋を仰いで【老の山】


2500万年前という、とほうもない太古の貝が、化石となって現在なお姿をとどめている西山海岸を後にすると、彦島の海岸めぐりも、最後のコースとなります。

彦島で海水浴を楽しむことができる唯一の場所「西山海水浴場」には、北九州からの海水浴客が訪れて、すこぶるにぎわいを見せた一時期もありましたが、最近では、その数も少なくなっているそうです。

初冬の風に向かって沖を望むと、波間に多くのウキが浮かび、ワカメの養殖場を示しています。
養殖ワカメは、吉見の水産指導所で5月ごろ縄に種付けし、海に張られるのは10月、そして順調にすくすくと育ったワカメは、12月には家庭の食卓を飾ることになのます。

老の山下の岩場を過ぎると、コンクリート橋では日本二位(第一位は浜名大橋)の彦島大橋が、ゆるやかな曲線の美しい姿を見せてくれます。

橋を仰いで小門海峡沿いに海士郷へ、その途中には、平家の落武者夫婦の悲しい伝説「身投げ岩」別名「きぬかけ石」があり、石造の観音菩薩像が、青い流れに影を投げかけています。

海士郷からは、バス道路を経て彦島公民館へ、一周およそ28キロメートルの変化に富んだ彦島の海岸めぐりは終わりです。


下関市教育委員会編「わがふるさと見て歩き」昭和58年発行

Posted on 2019/01/01 Tue. 10:57 [edit]

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フクが踊る【南風泊漁港】 

フクが踊る【南風泊漁港】


奇岩に根をからませた野菊が、冷たさを増した潮風に全身を揺らせながら、行く秋と名残を惜しんでいました。

竹ノ子島は一周およそ2キロメートル、彦島とは「昭和橋」で結ばれています。
この島は、彦島の西端に位置するため、灯台や潮流信号所があり、関門海峡に出入りする船舶にとっては、大切な所です。

台場ヶ鼻の潮流信号所は、明治42年に創設されたもので、図形や色によって潮流を表示していましたが、現在では電光板へと変っています。

潮が引いた海辺には、小さなニナが無数に見られ、あちこちの岩場では、釣りを楽しむ人の姿がありました。

竹ノ子島をめぐって、フクの水揚げ量が全国の九割を占める南風泊漁港へ進むと、ちょうど接岸中の船からフクを水揚げ作業中でした。
船の生簀から網ですくわれたフクは、手早く市場内の活魚槽に運ばれ、午前3時20分からのセリを待ちます。

トラフクの大きなものは、一匹五万円もするという説明には一同驚きの声をあげたものです。

市場内の見学を終え、市指定文化財の貝化石層が見られる西山海岸へ。
下関の海岸線の中でも特異な景観です。


下関市教育委員会編「わがふるさと見て歩き」昭和58年発行

Posted on 2018/12/31 Mon. 11:21 [edit]

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輝く海辺を行く【田の首】 

輝く海辺を行く【田の首】


潮の香りに囲まれた彦島の海辺は、人の通行をかたく拒んで、寄せつけないところもあります。
弟子待から田の首への海岸線も、通り抜けができません。

そこで、日露戦争当時、海軍の兵舎があったことから「海軍山」とよばれる高台を経て、田の首へと向かいます。

途中、昭和57年4月開校した向井小学校や、田の首八幡宮、造船所の巨大なクレーンをながめながら下って行くと彦島田の首町で、小さな船溜まりがあります。

波打ち際には、完成間近な貨物船の壮大さを、一層強調するかのように、小さな漁船がつながれていました。

運輸省の検潮基準点の標識を後に、家並みを通り抜け、再び海へ出ると、彦島の最南端です。

近くに、昭和46年12月に完成した南霊園の墓標がアベリアの可憐な花に囲まれて、静かな秋の光をいっばいに受けたやすらかな光景を見せてくれます。

ここからは塩浜町へは、干潮の時のみ探訪することができますが、海岸線コースの中でも難所の一つです。

大小の岩伝いにえよそ1キロメートル。
海峡の流れを隔て、戸畑、若松の工場群がせまってくる眺めを左に、岬をまわると、福浦金刀比羅宮の森、入り江に浮かぶ輸入木材の群列、福浦町の連なる甍が、眺めを一変させてくれます。


下関市教育委員会編「わがふるさと見て歩き」昭和58年発行

Posted on 2018/12/30 Sun. 10:55 [edit]

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360度の展望【老の山公園】 

360度の展望【老の山公園】


戦前は「要塞地」現在は平和のシンボル「公園」というところが多くありますが、その一つに老の山公園があります。

彦島の県立下関第一高校入口バス停、徒歩で約15分登ると、360度の展望が開けます。

下関市街、関門海峡、西山と北九州の工業地帯、六連島から響灘、足元には彦島と本州を結ぶ日本第二のコンクリート橋「彦島大橋」が見えます。

この公園は、昭和44年から本格的に整備がすすめられ、芝生広場、展望台、休憩広場、植栽や遊戯施設を整えているほか、勤労青少年ホームも設置されており、次代をになう青少年の情操教育の場となっています。

また、本格的な野外ステージ、外周園路の整備、藤棚の設置、花木植栽など魅力ある公園整備が進められ、火ノ山公園に次いで大規模な公園となっています。

明治以降、砲台陣地が構築され、要塞の地であったこの地が、憩いの場として市民に利用されている意味を味わってみたいものです。


下関市教育委員会編「わがふるさと見て歩き」昭和58年発行

Posted on 2018/12/29 Sat. 09:47 [edit]

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29

波頭をつま先に海辺を【西山】 

波頭をつま先に海辺を【西山】


緑の木々の中をまっすぐ天へ伸びる270段の石段、途中で一休みして登りつくと、そこは福浦金刀比羅宮の社殿で、幕末に吉田松陰が彦島を巡視したとき、立ち寄っている地でもあります。

参拝ののち、再び海岸へ戻って西山方面へ進むと、彦島地区の下水道終末処理場が右にあります。
彦島地区の下水道水洗化率は昭和57年末で23パーセント。
水洗化可能地域では、改造工事の促進が望まれるところです。

北九州と本市を結ぶ七つのルートの一つ、山九渡船の桟橋を左にするあたりは、昭和60年度の完成を目指して、西山木材港の工事が進んでいます。

海岸沿いに歩いた道は、荒田バス停からバス道路を進み彦島八幡宮へ。
彦島八幡宮は彦島の氏神で、10月21日に執り行われる「サイ上り神事」は市指定文化財で、市内でも有名な祭りの一つです。

さらに進んで彦島西山町一丁目の高台は、砲台のあった跡地で、円形の土盛りの上に立つと、360度の展望の中に、北浦の海岸線、六連島、九州の工場群、山並みそして海峡を見渡すことが出来ます。

小さな入り江をめぐって、竹ノ子島へは、奇岩もあって、楽しい海岸めぐりのコースです。


下関市教育委員会編「わがふるさと見て歩き」昭和58年発行

Posted on 2018/12/28 Fri. 09:58 [edit]

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28

七里七浦をめぐる【彦島海岸】 

七里七浦をめぐる【彦島海岸】


彦島の海岸は「七里七浦」といわれ、およそ28キロメートルにわたって大小の入り江が、島を形づくっています。

彦島は壇之浦の源平合戦のとき、平家の拠点であったため、平家伝説に由来する遺跡もあり、そのなかの幾つかを探訪します。

彦島公民館を出発して、江の浦の古い家並み通り抜け「清盛塚」と「岩刻古墳」を経て、江の浦公園からバス道路と分かれて南へ入ると、やがて海が見えます。

巌流島が手の届くほどの距離に浮かび、遠くに関門橋も望めるのどかな海峡の風景は、すばらしいものです。

江の浦から弟子待への海岸線は、石油などのタンクが林立する珍しい雰囲気があります。

さらに進むと、昭和60年度末の完成をめざして、大規模な造成工事が行われている「田の首公園」があり、海道には、日露戦争に備えて明治35年に造られた「水雷発射場跡」があります。

この発射場から50メートルも海峡へ突出した石組みの上では、釣り人が無心に釣り糸を垂れていました。


下関市教育委員会編「わがふるさと見て歩き」昭和58年発行

Posted on 2018/12/27 Thu. 12:51 [edit]

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彦島の氏神【彦島八幡宮】 

彦島の氏神【彦島八幡宮】


屋根の銅板が美しい緑色をみせている「彦島八幡宮」は、彦島の氏神として、多くの人々に親しまれています。

平治元年十月、河野通次が自ら祭りの主となって宇佐神宮より、分霊を勧請したものと伝えられ、別の名を「灘八幡」「子安八幡宮」ともいわれ、航海安全、安産の神様として、広く知られています。

秋の大祭には、八百年前から伝えられている「サイ上り神事」が行われます。
「サイ上り」とは「サァ上がらせ給え」と云う言葉が変化したものといわれ、市の無形文化財に指定されています。

この神事は、彦島開拓の十二苗祖の一人である河野通次が、舞子島の海中から、御神体を引き上げた故事に始まると伝えられ、今もなお十二苗の子孫の人達が、武具甲冑を身に付け、祭りに参列します。
この日だけは、日頃通れない、三井東圧の構内を通り抜け、海岸に出ると、そこには古い鳥居があります。

境内には、縄文時代の始めごろの遺跡である「宮ノ原遺跡」があり、この地の古さを物語っています。

また、仲哀天皇が弓を立てられたという松の碑があり、ここにも仲哀伝説がありました。

八幡宮の近くには、海水浴場があり、夏には多くの海水浴客でにぎわいます。


下関市教育委員会編「わがふるさと見て歩き」昭和58年発行

Posted on 2018/12/26 Wed. 09:16 [edit]

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急な石段を登る【福浦金刀比羅宮】 

急な石段を登る【福浦金刀比羅宮】


指呼の間に望む北九州。
海峡を東へ、西へとよぎる船は、初夏の光を浴びて純白の航跡を描く、ここ福浦金刀比羅宮からのながめです。

数年前に福浦と荒田を結ぶ海岸道路が開通し、彦島西部地域の道路網が整備されました。
「この道が開通するまでは、彦島緑町を大まわりしなければ行けませんでしたから、随分便利になりました」と、地元の方はよろこんでいます。

海岸道路の取り付け部分、福浦湾の入口、湾と海峡をながめる位置に福浦金刀比羅宮があります。
鳥居から見上げる石段は、天に至るかのように真っすぐ伸び。繁茂する木々のトンネルを抜けたところに、上の鳥居があります。

石段を一気に駆け登ろうとしたものの中ほどでダウン。
胸の動悸を静めるのに数分かかりました。

ここ福浦金刀比羅宮は、吉田松陰が18歳のときに、藩命によって台場視察のため、北浦、下関をめぐったときに立ち寄ったことが「廻浦紀略」に記されているほか、幕末に「都落ち」した七卿のうち五卿が参拝したこともあります。

外国から運ばれてくる材木の荷役作業がみられる福浦港、古い街のたたずまいをとどめる家並みなど、新旧おりなす金刀比羅宮のあたり福浦は、風情に富んだ地でもあります。


下関市教育委員会編「わがふるさと見て歩き」昭和58年発行

Posted on 2018/12/25 Tue. 09:35 [edit]

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