彦島のけしき
山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…
漁業者の団体組織と漁業発達の影響5
漁業者の団体組織と漁業発達の影響5
次に彦島の水産業についてでございますが、詳しく申し述べますと相当時間を要します。
今日は限られた時間でありますので、漁業団体の一部について申し上げます。
下関漁港の修築以前は小瀬戸の潮流が激しかったので、おおくの漁船は潮流に逆らって艪や櫂を操ることが容易ではありませんでした。
それがために海士郷の漁師は、沖から漁獲したものを積んで港に帰ります際には、その逆流を押し切るためにネタイユの鼻まで出かけまして、山の麓から引網を海に投げ、船に結びつけて岩礁を伝って船を曳きつつ帰ったのであります。
今日ではこのような難所は全く除かれ、そのうえ発動式漁船に改造して漁場との往復時間を縮小するほか、操業時間も多くなり災害防止にも努めておりますので、漁撈能率も非常に上がりまして漁獲物も倍加してきたのであります。
古老が語る郷土の今昔「ひこしま発展誌」より
次に彦島の水産業についてでございますが、詳しく申し述べますと相当時間を要します。
今日は限られた時間でありますので、漁業団体の一部について申し上げます。
下関漁港の修築以前は小瀬戸の潮流が激しかったので、おおくの漁船は潮流に逆らって艪や櫂を操ることが容易ではありませんでした。
それがために海士郷の漁師は、沖から漁獲したものを積んで港に帰ります際には、その逆流を押し切るためにネタイユの鼻まで出かけまして、山の麓から引網を海に投げ、船に結びつけて岩礁を伝って船を曳きつつ帰ったのであります。
今日ではこのような難所は全く除かれ、そのうえ発動式漁船に改造して漁場との往復時間を縮小するほか、操業時間も多くなり災害防止にも努めておりますので、漁撈能率も非常に上がりまして漁獲物も倍加してきたのであります。
古老が語る郷土の今昔「ひこしま発展誌」より
TB: -- CM: 0
11
漁業者の団体組織と漁業発達の影響4
漁業者の団体組織と漁業発達の影響4
そして港湾施設の建設が進むにつれまして、今度は幡生駅を起点とする関門鉄道トンネルが、埋立地を経て門司に通じることに相成ったのであります。
このため、駅舎及び付随する各種の施設、おおくの官庁・会社・工場または商店等がこの埋立地に蝟集いたしまして、現在のような立錐の余地もない繁華な地になったのであります。
こうした偉観を遂げた大和町の施設は、大正・昭和の両年代にまたがりまして完成しましたので大正の「大」と昭和の「和」を採りまして「大和町」と名付けたのであります。
古老が語る郷土の今昔「ひこしま発展誌」より
そして港湾施設の建設が進むにつれまして、今度は幡生駅を起点とする関門鉄道トンネルが、埋立地を経て門司に通じることに相成ったのであります。
このため、駅舎及び付随する各種の施設、おおくの官庁・会社・工場または商店等がこの埋立地に蝟集いたしまして、現在のような立錐の余地もない繁華な地になったのであります。
こうした偉観を遂げた大和町の施設は、大正・昭和の両年代にまたがりまして完成しましたので大正の「大」と昭和の「和」を採りまして「大和町」と名付けたのであります。
古老が語る郷土の今昔「ひこしま発展誌」より
TB: -- CM: 0
10
漁業者の団体組織と漁業発達の影響3
漁業者の団体組織と漁業発達の影響3
明治大帝が往時下関市に御逗留の節には、下関の漁師安井作治郎という人が活きた魚を献上しようと、ボラ漁の指揮者となって魚群を囲み、吹雪の中を素裸のまま海中に飛び込み大きなボラを掴んで船に上がったのであります。
上陸するや否や、ご宿泊先の春帆楼へ一目散に走って献上したことが侍従から陛下のお耳に入り、彼に「海坊主」という雅号を賜ったのであります。
彼は欣喜雀躍これを拝して、晩年に至るまで「海坊主・安井爵位翁」と自ら名乗っておったといいます。
この広い漁場も時代の流れには抗し切れず、内務省の主管で関門海峡の浚渫工事が行われまして、その土砂の捨て場として、この沖の洲の十六万坪が埋め立てられて港湾に姿を変えたのであります。
その後、水産都市として発展著しい下関は、狭隘となった漁港修築の議が起こりまして、国と県と市が総工費六百三十万円の予算で、昭和7年から四年計画で内港・外港・水路・陸上の施設建設に着手されたのであります。
と同時に竹崎地先の急流も締め切られ、陸続きとなり、一方船舶の航行に便ずるため、彦島側に水門を設けられたのであります。
古老が語る郷土の今昔「ひこしま発展誌」より
明治大帝が往時下関市に御逗留の節には、下関の漁師安井作治郎という人が活きた魚を献上しようと、ボラ漁の指揮者となって魚群を囲み、吹雪の中を素裸のまま海中に飛び込み大きなボラを掴んで船に上がったのであります。
上陸するや否や、ご宿泊先の春帆楼へ一目散に走って献上したことが侍従から陛下のお耳に入り、彼に「海坊主」という雅号を賜ったのであります。
彼は欣喜雀躍これを拝して、晩年に至るまで「海坊主・安井爵位翁」と自ら名乗っておったといいます。
この広い漁場も時代の流れには抗し切れず、内務省の主管で関門海峡の浚渫工事が行われまして、その土砂の捨て場として、この沖の洲の十六万坪が埋め立てられて港湾に姿を変えたのであります。
その後、水産都市として発展著しい下関は、狭隘となった漁港修築の議が起こりまして、国と県と市が総工費六百三十万円の予算で、昭和7年から四年計画で内港・外港・水路・陸上の施設建設に着手されたのであります。
と同時に竹崎地先の急流も締め切られ、陸続きとなり、一方船舶の航行に便ずるため、彦島側に水門を設けられたのであります。
古老が語る郷土の今昔「ひこしま発展誌」より
TB: -- CM: 0
09
漁業者の団体組織と漁業発達の影響2
漁業者の団体組織と漁業発達の影響2
現在のちょうど大和町の位置が沖の洲にあたり、往時の小瀬戸の入り口で潮流の激しいところでありました。
海底には砂や泥が堆積して浅瀬となり多くの海藻が繁茂しておったのであります。
干潮時の際はこの一帯が、一面に毛布を敷き並べたような海面から姿を表しておりました。
したがって、各種の魚の産卵・孵化に御誂え向きの良い漁場であったのであります。
産卵期になりますと、内海方面からも外海方面からも、この浅瀬を目指して集まる魚の種類もおびただしいものでありました。
したがってこの付近の漁師にとりましては、唯一の軒先漁業として繁盛してきたのであります。
この場所に最も長期間滞留するのが「ボラ」でありました。
このボラの最盛期に入りますと、海士郷・伊崎・竹崎・壇之浦の漁業者はもちろん、遠く北九州の各地や山口県の秋穂などから、交代制で「マカセ」というボラを専門に獲る網船を繰り出して盛んに捕獲したのであります。
古老が語る郷土の今昔「ひこしま発展誌」より
現在のちょうど大和町の位置が沖の洲にあたり、往時の小瀬戸の入り口で潮流の激しいところでありました。
海底には砂や泥が堆積して浅瀬となり多くの海藻が繁茂しておったのであります。
干潮時の際はこの一帯が、一面に毛布を敷き並べたような海面から姿を表しておりました。
したがって、各種の魚の産卵・孵化に御誂え向きの良い漁場であったのであります。
産卵期になりますと、内海方面からも外海方面からも、この浅瀬を目指して集まる魚の種類もおびただしいものでありました。
したがってこの付近の漁師にとりましては、唯一の軒先漁業として繁盛してきたのであります。
この場所に最も長期間滞留するのが「ボラ」でありました。
このボラの最盛期に入りますと、海士郷・伊崎・竹崎・壇之浦の漁業者はもちろん、遠く北九州の各地や山口県の秋穂などから、交代制で「マカセ」というボラを専門に獲る網船を繰り出して盛んに捕獲したのであります。
古老が語る郷土の今昔「ひこしま発展誌」より
TB: -- CM: 0
08
漁業者の団体組織と漁業発達の影響1
漁業者の団体組織と漁業発達の影響1
ただいまより彦島の漁業のことにつきまして吉岡英雄氏からお話をいただきます。
吉岡氏は永らく彦島漁業組合の専務理事として、また市議会議員として三期にわたって市政に参画された方でございます。
ご紹介を受けました吉岡であります。
私は皆さんのように彦島に生まれ、彦島で育っていないため、遠い昔のことは存じておりません。
大正4年山口市から彦島村に転入いたした者でありますから、ご参考になるようなお話もできないと思いますが、若干聞き及んだなかから申し上げようと思います。
まずもって現在の大和町の生い立ちから簡単にお話ししてみたいと思います。
彦島の地は昭和8年下関市と合併いたしまして、彦島地先に継子扱いにされておりました「沖の洲」が大々的な埋め立てにより現在の大和町に姿を変えました。
過去を思い出しますと、じつに夢のような感じがするのであります。
古老が語る郷土の今昔「ひこしま発展誌」より
ただいまより彦島の漁業のことにつきまして吉岡英雄氏からお話をいただきます。
吉岡氏は永らく彦島漁業組合の専務理事として、また市議会議員として三期にわたって市政に参画された方でございます。
ご紹介を受けました吉岡であります。
私は皆さんのように彦島に生まれ、彦島で育っていないため、遠い昔のことは存じておりません。
大正4年山口市から彦島村に転入いたした者でありますから、ご参考になるようなお話もできないと思いますが、若干聞き及んだなかから申し上げようと思います。
まずもって現在の大和町の生い立ちから簡単にお話ししてみたいと思います。
彦島の地は昭和8年下関市と合併いたしまして、彦島地先に継子扱いにされておりました「沖の洲」が大々的な埋め立てにより現在の大和町に姿を変えました。
過去を思い出しますと、じつに夢のような感じがするのであります。
古老が語る郷土の今昔「ひこしま発展誌」より
TB: -- CM: 0
07