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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

下関観光検定077 

【質問】

大歳神社は、源平の合戦にゆかりの神社です。
さて神社創建のきっかけともなる戦勝祈願をこの地でしたのはだれでしょうか。

【答え】

源義経

【解説】

竹崎町にある大歳神社は、伝えられるところによると、源平合戦の際、源義経が有明山に陣をしき、浅間神社の大歳神を祭り、桑の木を用いて作った弓矢を神前に捧げて戦勝祈願、のちその弓矢をもって対岸の彦島に陣取る平知盛軍へ射ち込んだため、驚いた平氏は壇之浦へ船を進め、ここに源平の合戦になったと伝えられています。
文治2年有明山麓の住民が戦勝の神を祭ったともいいます。


関門海峡歴史文化検定問題集より 下関商工会議所発行

Posted on 2017/08/19 Sat. 14:33 [edit]

category: 下関観光検定

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下関観光検定076 

【質問】

上新地にある厳島神社は、平家一門が分霊をいただいて守護神として船中に祭っていたものを見つけ、社殿を建立したのにはじまるといいます。
では、どこの厳島神社の分霊をいただいてのでしょうか。

【答え】

安芸

【解説】

上新地にある厳島神社は、社伝によれば、平家一門が安芸の厳島神社の分霊をいただいて守護神として船中に祭っていたのが、壇之浦の合戦で敗戦、その後、磯辺に漂着していた神霊を見つけ、文治元年に社殿を建立したのにはじまるといいます。


関門海峡歴史文化検定問題集より 下関商工会議所発行

Posted on 2017/08/18 Fri. 09:16 [edit]

category: 下関観光検定

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下関観光検定075 

【質問】

関の氏神・亀山八幡宮にある日本一の大鳥居の横には、藤原基晴に関する記念碑があります。
その碑の名前はなんというでしょうか。

【答え】

床屋発祥之地

【解説】

下関は床屋(理髪店)の発祥地です。
鎌倉時代、第90代亀山天皇の時代、京都御所から宝刀が盗まれました。
北面の武士で京都御所の守護職・藤原基晴は責任を感じて職を辞します。
かれは三男菜女之亮を連れて宝刀を探しに、交通の要所であり当時元寇で風雲急を告げていた下関に来ました。
菜女之亮は下関で新羅人から髪結いの技術を学び、現在の中之町付近に往来の武士を客とした髪結所を開店しました。
店の床の間には、以前仕えていた亀山天皇と藤原家の先祖を祀る立派な祭壇があったので、人々は「床の間のある店」転じて「床屋」、さらに「床屋」という屋号で呼ぶようになりました。
「床屋」という言葉は下関が発祥の地で、その後全国に広まっていきました。
宝刀紛失事件で職を辞してもなお、天皇陛下や先祖を祀り、宝刀探しを続ける親子の姿を見て、往来の武士や地元の人々も感銘を受けたことでしょう。
「床屋発祥之地」記念碑は、平成7年7月17日除幕されました。
「日本剃刀と櫛」を象った高さ4メートルの碑で、前中央には桜御影石を使って、人の顔と頭をあらわす丸石を据え「床屋発祥之地」と刻んでいます。
この碑は、下関理容美容専修学校長であった小野孝策先生たちの尽力により建立されました。


関門海峡歴史文化検定問題集より 下関商工会議所発行

Posted on 2017/08/17 Thu. 09:46 [edit]

category: 下関観光検定

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下関観光検定074 

【質問】

亀山八幡宮の境内には、周辺を埋め立てる際、人柱となった人の名前を冠したイチョウの木があります。
このイチョウの木はなんと呼ばれているでしょうか。

【答え】

お亀イチョウ

【解説】

亀山八幡宮周辺を埋め立てたとき、工事が難航し、稲荷町の遊女のお亀という女性が、自分の身をなげうって人柱になり、そのおかげで工事が完成。
そのお亀の功績を称えて、記念としてイチョウの木を植えました。
これを「お亀銀杏」と呼んでいますが、お亀にはあばたがあり、この銀杏の実にもあばたがあるといいます。
また、この埋め立てで出来た広い浜を八丁浜といいます。


関門海峡歴史文化検定問題集より 下関商工会議所発行

Posted on 2017/08/16 Wed. 09:43 [edit]

category: 下関観光検定

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下関観光検定073 

【質問】

明治維新後廃仏毀釈により、安徳天皇をまつっていたお寺の御影堂が赤間神宮となりました。
赤間神宮の前身ともいえるこのお寺はなんというお寺だったでしょうか。

【答え】

阿弥陀寺

【解説】

安徳天皇をおまつりしていたのは阿弥陀寺の御影堂でした。
ここで安徳天皇のご命日には、先帝会を行い御霊を弔っていました。
江戸時代には、この阿弥陀寺は、朝鮮通信使一行の宿所になったりしています。
現在は赤間神宮となっていますが、阿弥陀寺町という町名が残っています。


関門海峡歴史文化検定問題集より 下関商工会議所発行

Posted on 2017/08/14 Mon. 12:10 [edit]

category: 下関観光検定

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下関観光検定072 

【質問】

戦前・戦中は関釜連絡船として、戦後は朝鮮半島からの引き揚げ船として活躍した船で、使われた錨が現在岬之町に設置されていますが、その船は何という船でしょうか。

【答え】

興安丸

【解説】

関釜連絡船として活躍した興安丸は、日本で最初に全室冷暖房を完備した、昭和を代表する客船でした。
敗戦後は、海外邦人の引き揚げ、在日コリアンの帰国輸送などにあたっていました。
昭和45年に広島県三原市で解体された後、現在岬之町に錨の一つが設置されています。


関門海峡歴史文化検定問題集より 下関商工会議所発行

Posted on 2017/08/13 Sun. 11:21 [edit]

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下関観光検定071 

【質問】

我が国で最初に船内郵便局が設置されたのは、関釜連絡船の中でした。
さて設置された関釜連絡船の名前はなんでしょうか。

【答え】

壱岐丸

【解説】

明治38年9月11日、日本初の定期連絡船として下関・釜山間に関釜連絡船が就航しました。
その関釜連絡船の壱岐丸船内に郵便物の引き受け、郵便切手類の販売、郵便物の区分・運搬等をおこなう、いわゆる船内郵便局が「関釜連絡船内第一郵便局」として初めて設置されました。
これが、日本で最初の船内郵便局です。


関門海峡歴史文化検定問題集より 下関商工会議所発行

Posted on 2017/08/12 Sat. 09:48 [edit]

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下関観光検定070 

【質問】

大正7年下関市小月と豊田町西市を結ぶ18.2kmに鉄道が開通しました。
現在は廃止されていますが、なんと言う鉄道だったでしょうか。

【答え】

長門鉄道

【解説】

大正7年小月と西市間を結ぶ長門鉄道が開通し、旅客だけでなく石炭、木材、竹材、米などの輸送で地域の発展に大きく貢献しました。
昭和31年にバスの方が至便だという理由によって廃止されました。
今もいろいろな思い出話で語られています。


関門海峡歴史文化検定問題集より 下関商工会議所発行

Posted on 2017/08/11 Fri. 09:29 [edit]

category: 下関観光検定

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下関観光検定069 

【質問】

明治34年5月27日神戸~赤間関間の山陽鉄道は、全線開通しました。
路線の決定には難しい問題があったと思われます。
たとえば、長府駅は長府市街地から離れた場所に開業しました。
これは騒々しい蒸気機関車に城下町を通過されるのはごめんだという地元からの要望もあったといわれています。
路線は長府駅から内陸部に入り、滑石トンネルを通り、一の宮から幡生を経由して下関駅に着きました。
地元住民の要望の他にもう一つ理由があり、その結果この路線になったのですが、その理由とは何でしょうか。

【答え】

要塞地帯をさけるため

【解説】

長府駅から海岸線を走り、火の山下を通って下関駅に入れば、最短の距離となり理想的といえるのですが、明治23年下関要塞砲兵大隊が設置されました。
このため西日本における国防の拠点である下関の火の山砲台の下を通る鉄道路線は考えられないことでした。


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Posted on 2017/08/10 Thu. 10:06 [edit]

category: 下関観光検定

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下関観光検定068 

【質問】

川棚の名物料理といえば瓦そばです。
瓦そばは、ある戦の話からヒントを得て「たかせ」の創立者が開発したといわれています。
さてヒントになった戦はなんでしょうか。

【答え】

西南の役

【解説】

明治10年、西南の役において熊本城を囲む薩摩軍の兵士たちは、長い野戦の合間に瓦を用いて野草、肉などを焼いて食べたという古老の話にヒントを得て、「たかせ」の創立者の高瀬慎一が開発したのが、瓦そばの発祥だといわれています。


関門海峡歴史文化検定問題集より 下関商工会議所発行

Posted on 2017/08/09 Wed. 09:23 [edit]

category: 下関観光検定

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下関観光検定067 

【質問】

大正天皇ご即位を記念して造られた公園が、下関最初の公園、日和山公園です。
大正10年から整備に着手し、完成したのは昭和2年11月のことでした。
この公園のシンボルとなったのが、昭和11年に建立された高杉晋作の銅像です。
しかしこの銅像は戦時中に供出され、台座のみ残っていましたが、この台座の上に、陶像として昭和31年4月に再建されました。
この陶像は何焼きでつくられたでしょうか。

【答え】

備前焼

【解説】

下関市では大正天皇ご即位を記念して、海峡を見下ろす景勝の地・日和山に公園を造ることを決定。
大正10年から整備に着手しましたが、完成したのは御代が変わった昭和2年のことでした。
この公園のシンボルとなったのが、昭和11年に建立された高杉晋作の銅像でした。
この銅像が戦時中に供出され、台座のみ残っていましたが、昭和31年備前焼の陶像として再建されました。
製作者は備前の陶工、伊勢崎陽山、像の高さは4.2m。
高杉晋作の墓所、吉田の清水山にもやや小型の像が立っていますが、これが日和山の像の原型です。


関門海峡歴史文化検定問題集より 下関商工会議所発行

Posted on 2017/08/08 Tue. 09:38 [edit]

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下関観光検定066 

【質問】

赤色の丸型郵便ポストは、明治40年に誕生。
これは下関南部町の指物師が考案したものてせすが、この人はだれでしょうか。

【答え】

俵谷高七

【解説】

明治34年に誕生した赤色・丸型・鉄製の郵便ボスとは、下関南部町の俵谷高七氏により考案されました。
発明家俵谷高七は現在の下関市南部町2-1付近に居住し、指物師として生計をたてるとともに、赤間関郵便局(現下関南部町郵便局)の郵便作業用具の製作、改良に取り組んでいました。
そのかたわら、自動切手葉書販売機等の発明考案に没頭し、当時としては画期的な発明を次々と生みだしました。
現在、下関南部町郵便局前には赤い丸型郵便ポストが設置されています。


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Posted on 2017/08/05 Sat. 09:13 [edit]

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下関観光検定065 

【質問】

明治39年に赤煉瓦造りの洋館が、唐戸町に造られました。
この建物は、現在国の重要文化財となっています。
なんという建物でしょうか。

【答え】

旧下関英国領事館

【解説】

四国連合艦隊の下関襲来に通訳として参加、のち英国の駐日公使となったフーネスト・サトウの進言によって、下関に英国領事館が設置されたのが明治34年でした。
最初は赤間町で事務を取り扱い、まもなく西南部町の瓜生商会店舗内に移転。
それから五年後の明治39年に煉瓦造り瓦葺二階建ての領事館が建設されました。
領事館としては現存最古の建物。
平成11年に国の重要文化財となっています。


関門海峡歴史文化検定問題集より 下関商工会議所発行

Posted on 2017/08/04 Fri. 08:27 [edit]

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下関観光検定064 

【質問】

明治26年、下関に日本銀行西部支店が開設されました。
その初代支店長は後の内閣総理大臣で「達磨さん」の愛称で親しまれた人物ですが、その人物とは誰でしょうか。

【答え】

高橋是清

【解説】

日本銀行西部支店は、大阪支店に次ぐ日本銀行二番目の支店として明治26年に下関に設置され、明治31年に門司港に移転しました。
初代支店長に就任した高橋是清は、その後、日本銀行総裁、大蔵大臣、内閣総理大臣などを歴任し、そのふくよかな体型から「達磨さん」の愛称で親しまれました。
なお、日本銀行下関支店は、西部支店移転からおよそ50年後の昭和22年に開設されました。


関門海峡歴史文化検定問題集より 下関商工会議所発行

Posted on 2017/08/03 Thu. 11:25 [edit]

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下関観光検定063 

【質問】

高杉晋作が下関の花街でめぐりあった一人の女性「おうの」は、高杉晋作亡き後、お墓の傍らに住んで菩提を弔いました。
彼女が梅処という名前で菩提を弔った家は、晋作の号にちなんで名づけられていますが、なんと呼ばれていますか。

【答え】

東行庵

【解説】

下関の花街で高杉晋作とめぐり合い、激動の中に愛をはぐくんだ「おうの」は、高杉の死により、生涯墓守として高杉の菩提を弔う道を選びます。
山県有朋から晋作の墓に接している無隣庵を贈られ、当初この無隣庵で日々を過ごしていたと思われます。
明治7年山県は吉田清水山周辺の地所をおうのに贈与し、後にこの地に東行庵が建立され、おうの(梅処尼)の生涯の住家となります。
東行は高杉晋作の号です。


関門海峡歴史文化検定問題集より 下関商工会議所発行

Posted on 2017/08/02 Wed. 11:57 [edit]

category: 下関観光検定

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