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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

馬関港開港 

馬関港開港


1864年8月8日、下関戦争で惨敗を喫した長州藩は、講和使節の使者に高杉晋作を任じた。
この時、高杉は脱藩の罪で監禁されていたが、家老宍戸備前の養子宍戸刑部を名乗り、四国連合艦隊のユーライアラス号に乗り込んでキューパー司令官との談判に臨んだ。
イギリス側通訳のアーネスト・サトウはこの時の高杉の様子を「非常に傲然としていたが、出された要求は何の反対もせずに全て受け入れた。」と述べている。

講和の開始から10日後の8月18日、下関海峡の外国船の通航の自由、石炭・食物・水など外国船の必要品の売り渡し、悪天候時の船員の下関上陸の許可、下関砲台の撤去、賠償金300万ドルの支払いの5条件を受け入れて講和が成立した。

この講和が成立したことにより、外国船舶の下関海峡(現・関門海峡)自由通行、船員の上陸許可、外国船への必需品の販売が行われるようになったことから、馬関港は事実上開港した。

Posted on 2019/10/19 Sat. 09:45 [edit]

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日本一のくじらのまち 

日本一のくじらのまち

下関市は、近代捕鯨の発祥地としての歴史があります。
日本一のくじらのまちを目指し、くじらに関する様々な活動を行っています。
このページでは、下関とくじらに関わる、いろいろな情報を配信していきます。

http://www.city.shimonoseki.lg.jp/www/contents/1323756364815/index.html
クリックすると詳細がごらんになれます。

Posted on 2019/10/18 Fri. 10:41 [edit]

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戦場ヶ原公園 

戦場ヶ原公園


戦場ヶ原公園は、国鉄幡生駅と後田バス停の中間の小高い丘に位置する。
戦前に、ドイツ人メッケルが設計した市内で最も大きい規模の要塞
明治24年完成 :工事期間(1200人があたり2年間)
壕、地下道、地下室(800人収容可)、飲料水の貯水所等が数ヶ所あり、我が国の要塞のモデルとして陸軍大学の学生が見学にきていたという。
昭和40年から山口県下関土木事務所によって公園化がすすめられた。
敷地内に「忠霊の塔」、「戦傷の碑」「戦災殉難者の碑」等があり、毎年戦没者の慰霊祭が行われている。

忠霊塔

昭和12(1937年)に始まった日中戦争において、国に命を捧げた人々の至純な愛を慰めるために忠霊塔建立の気運が全国的に高まる中下関市においてはその場所として市の中心に位置し全方位から拝することができる旧下関重砲兵連隊の保塁であったここ戦場ヶ原が早くから選定されていました。
昭和17年(1942)3月軍、官、民一体となってこの忠霊塔は建立されました。

過去数次の戦争において、国難に殉じた郷土出身の4800余名の戦没者を追悼し英霊の遺志を受け継いで戦後50年を経過する今恒久平和への誓いをあらためてここに刻みます
平成7年(1995)8月 下関市連合遺族会

戦傷の碑

1937年から1945年にかけて8年間くりひろげられた日中戦争及び太平洋戦争では、下関市からも多くの人が出征し約4200人の方が戦没され、また約1000人の人達が戦傷者となる痛ましい結末を生じました。
この戦場ヶ原の地はかつて陸軍の要塞地で兵士たちでいっぱいでしたが今は市民の憩いの場として開放され平和な公園になりました。

私達傷痍軍人会及び妻の会は、互いに励まし力を合わせ、このゆかりの地に平和祈念の象徴として戦傷の碑を建立いたしました。
これから先悲惨な戦争を繰り返さないようそして二度と戦傷の痛みで苦しむ人々が出ないよう世界中の人々と心を合わせて祈念いたします。
1981年2月 下関傷痍軍人会

Posted on 2019/10/17 Thu. 09:03 [edit]

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釜山門 

釜山門


下関グリーンモール「釜山門」完成、除幕式
山口新聞2011年8月21日(日)掲載


「下関のリトルプサン」と呼ばれる下関市竹崎町のグリーンモール商店街入り口側の人工地盤上に、韓国風の楼門をイメージしたモニュメント「釜山門」が完成し、20日に現地で除幕式があった。下関と韓国・釜山市の姉妹都市締結35周年を記念して来関した許南植・釜山市長も出席してお披露目を祝った。

「下関駅にぎわいプロジェクト」の一環として下関市が約2600万円かけて既存アーチを全面改修する形で整備。高さ約5メートル、幅7・6メートルの鉄骨造りで、鮮やかな模様をあしらった赤色の丸柱2本が「釜山門」「GREEN MALL」の文字が書かれた瓦屋根部分を支えており、同商店街を訪れる観光客を迎える。

中尾友昭市長は「これを機に両国の交流を一層促進させ、小さな国際都市・下関として頑張る」、許市長は「両市の35年間の友情を記念する大きな贈り物。この門を契機に、より多くの釜山市民がここを訪れることを願う」と語った。

同日はグリーンモール商店街振興組合(柴田哲也理事長)と釜山市の国際市場繁栄会(金学永会長)の姉妹締結調印式が下関市竹崎町の下関ステーションホテルであり、経済や文化など多方面での交流促進を通して両団体の発展につなげることなどを確認した。

中尾、許両市長の立ち会いの下、柴田理事長と金会長が共同宣言文に調印し、握手を交わした。金会長は「友好交流とビジネス発展のため一緒に努力しよう」、柴田理事長は「国際市場に比べると小さな商店街だが互いの発展のために努めたい」とあいさつした。

国際市場は五つの大通りからなる釜山を代表する市場で、約2万5千平方メートルの面積に約1200店が衣類や雑貨、電子製品、家具のほか、若者向けの洋服やアクセサリーなどを扱う。

JR下関駅そばに位置するグリーンモール商店街は、焼肉店をはじめ韓国料理店や韓国の食材や雑貨を扱う店舗が軒を連ねている。4月には拠点施設「邦楽座別館」が開店した。

Posted on 2019/10/16 Wed. 09:21 [edit]

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大歳神社(おおとしじんじゃ) 

大歳神社(おおとしじんじゃ)


源義経が壇之浦の合戦に際し、戦勝を祈願した神を祀ります。
長い石段を登りつめた境内には、めずらしい「七卿落ち(しちきょうおち)」の画碑があります。
「七卿落ち」とは、文久3年(1863)8月、京都朝廷で起こった政変により、反幕派7人の公卿が京都から追放され長州に下った事件をいいます境内前の大鳥居は、白石正一郎が寄進したもので、その大きさに当時の豪商の経済力がうかがえます。
またここは「港が見える丘の径(みち)」の起終点にもなっています。平成18年5月19日より、夜はライトアップされています。

所在地 下関市竹崎町1丁目13-10
交通 JR下関駅から徒歩約4分
お問合せ 083-223-0104


しものせき観光ホームページより

Posted on 2019/10/15 Tue. 09:21 [edit]

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藤原義江記念館 

藤原義江記念館(紅葉館)


海峡を望む小高い丘に建つこの洋館は、かつて英国領事館の公邸や貿易商社の宿舎として使用されていました。
現在は、「われらのテナー」として親しまれ、古川薫氏の直木賞受賞作「漂泊者のアリア」でも紹介された下関出身の世界的オペラ歌手・藤原義江の記念館となっています。
館内には義江の美しい歌声が流れ、窓の外には関門海峡が広がります。
 建物は国の登録有形文化財。

所在地 下関市阿弥陀寺町3-14
交通 JR下関駅からバス10分「赤間神宮前」下車、徒歩10分
料金 入館無料
開館時間 10:00~11:30・13:00~16:00
休み 不定休、年末年始(12/30~1/3)※臨時休館あり
お問合せ 083-234-4015(見学には予約が必要)

Posted on 2019/10/14 Mon. 10:10 [edit]

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壇具川と長府藩侍屋敷長屋 

壇具川と長府藩侍屋敷長屋


中央に出入り口を配し、一見長屋風ですが、構造の重厚さ、特に仲間部屋格子窓(ちゅうげんべやこうしまど)の造り等は、上級藩士の屋敷の趣をよく残しています。
この建物は侍町にあったものを、保存のため移築したものです。

下関市長府侍町1-1-1
JR下関駅からバス23分「城下町長府」下車、徒歩5分


しものせき観光ホームページより

Posted on 2019/10/13 Sun. 09:37 [edit]

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平家蟹(へいけがに)と小平家(こべけ) 

平家蟹(へいけがに)と小平家(こべけ)


 源平壇之浦の合戦が行われた壇之浦の海岸付近一帯でとれる奇怪な蟹がいます。
 蟹の甲羅に怒りにみちた顔のような模様があり、これは、壇之浦の戦いで戦死した平家の武将の怨霊が乗り移ったものといわれ、平家蟹(へいけがに)と呼ばれています。
 昔は、平家蟹が網にかかるとたたりがあると恐れられていたようで、漁師は赤間神宮へ奉納したそうです。
 また、壇之浦の合戦に敗れ入水(じゅすい)した平家の女官は美しい小鯛に化身したといわれており、壇之浦の周辺で獲れる小鯛は小平家(こべけ)と呼ばれています。


しものせき観光ホームページより

Posted on 2019/10/12 Sat. 09:29 [edit]

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古江小路・菅家長屋門 

古江小路・菅家長屋門(ふるえしょうじ・かんけながやもん)


菅家は、侍医(じい)兼侍講(じこう)職を務めた格式ある家柄です。
この長屋門は、代々藩中医家随一のふさわしい構えを見せており、武家の屋敷構えとその趣を異にしています。
また面した通りは古江小路と呼ばれ、練塀(ねりべい)が続く家並みはもっとも城下町らしい雰囲気をかもしだしています。

下関市長府古江小路町2番
JR下関駅からバス23分「城下町長府」下車、徒歩7分


しものせき観光ホームページより

Posted on 2019/10/11 Fri. 09:19 [edit]

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喜楽湯《廃業》 

喜楽湯《廃業》

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喜楽湯

2013年11月、廃業されました。(シロヤギさん情報感謝!)
レポートは営業当時のものです。

下関市入江町7-13
電話 0832-22-8529
【営業時間】15:00~22:00
【定休日】月曜日
【入浴料金】大人360円

本州から九州へは、関門海峡を船で渡るのが旅情にひたれてよろすい。
JR下関駅から唐戸の渡船場までは2kmちょっとあるけど、ちょうどその中間あたりに渋い銭湯あり。当然、寄って行きましょう。
駅から国道9号線の1筋北の商店街を15分ほど東へ歩いて、ローソンの角を左の山側へ曲がって300mほど行くと、スーパーの向かいに昔ながらの素敵なお風呂が見えてくる。

玄関は男女の入口が左右に分かれているが、さらに男女背を向けるかたちで半円アールの仕切りが設置されている。覗き見を許さない工夫だ。

暖簾をくぐるとタタキに木の古い番台があり、人のよさげなおかみさんが座っている。
左手に年季の入った木のゲタ箱あり。

脱衣所は板張りの広々空間、格天井も高くて開放感に満ちている。
壁はしっくい柱はこげ茶、男女仕切りも古い板。二つのハメ鏡も年代ものだ。
でもロッカーは集成材モノ。

浴室入口はガラスの小部屋みたいになっていて珍しい。
そこを通って浴室へと進む。
浴室内は窓やガラスが広くて、めっぽう明るい。
壁上部から天井は板張りで、東京の2段式ふうだが湯気抜きがかなり小さい。

湯舟は中央にデンと主浴槽。
周囲に大阪式座り段はない。
フチに黒い石材が使われ、底には昭和的な不揃い小石型タイル。
強力ジェットが2つ噴出しているが、これが腰や背のツボにちょうどエエ感じだ。

そして奥に小さな3槽、右からぬる目の入浴剤、気泡、そして水と並んでいる。
さらに水風呂の横にはスチームサウナがあり、開けてみると狭いながらも人がいっぱい、
しかもなかなか出て来ない。
みんなこれが好きで来ているんだな。

主浴槽の両側にカランが並んでいるが、シャワーは片側のみに設置されている。
床やカラン周辺は新しいタイルに張り替えられている。
明るく、清潔感があり、使い勝手がよい。他客5~6人はみな長湯していた。

上がりは飲み物販売あり。ぶら下がり健康器もあり。
おかみさんによると、空襲で周囲は焼けたがここだけ残ってたのを戦後買い取ったという。
全体のレトロな雰囲気は残しつつ、要所だけ押さえた改装がニクイ。

何度でも来たくなりそうな、いい銭湯だ。
昼間に来てなおよし。
九州上陸前に本州の垢をここで落として行くべし。 (07.8.12)

山口県の激渋銭湯より
http://www.sairosha.com/meisento/yamaguti.htm

Posted on 2019/10/10 Thu. 09:02 [edit]

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