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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

沖田のツル 

沖田のツル ー宇部ー


 今からおよそ百三十年前、宇部村(宇部市)に岡又十郎という若さむらいがいた。
 又十郎は毛利藩福原元僴(ふくはらもとたけ)の家来で、大鳥方(おおとりかた)という役目であった。大鳥方というのは、毎日、野山をかけめぐって、鳥やけものをとらえる役目だ。

 ある年の秋のくれのことだ。
 きょうはどうしたというのだ。鳥の一羽、けもの一匹とれない。又十郎は少し気をおとして、家路についた。秋は日暮れがはやい。
 沖田まで来ると、夕もやのかかった田の中に白いものが動いている。目をすかしてみると、それは二羽のツルだった。一羽は、もう一羽よりずっとからだが大きい。

 しめしめ。これでやっときょうの仕事ができた。又十郎は鉄砲をかまえて、ズドンと一発うった。ぱたっと一羽のツルがたおれた。小さいツルは、おどろいて空に飛び上がった。
 ようし、殿もきっとお喜びになるぞ。
 かけていってツルをひらいあげると、どうしたことか首がない。
 これはこまった。首なしの鳥はえんぎがわるい。
 これでは殿にさしあげることもでいない。又十郎はそこらあたりを、てさぐりでさがした。けれども、首はとうとうさがしだすことはできなかった。又十郎はがっかりして、首のないツルをぶらさげてわが家に帰った。

 それから一年たった。

 又十郎はいつものようにえものをもとめて野山をかけまわったあと、沖田までやってきた。時こくもちょうど去年と同じころだった。乳色のゆうもやが野や田畑の上にかかっている。
 去年も同じだったな。
 ふとそう思って、なにげなく田のほうを見ると、あのときと同じところに、ツルがいるではないか。こんどは一羽だ。
 又十郎は自分の目をうたがった。目をこすって、もう一度見た。まちがいない。ツルだ。

 ようし、こんどは足をねらってやろう。
 また十郎はねらいをさだめてひきがねをひいた。ねらいたがわず、ツルはぱたりとその場にたおれた。又十郎はゆっくりと近づいていって、ツルを拾い上げた。
 ぽろりと落ちるものがあった。見ると、一本のくだのようだ。手にとって、又十郎は、
「あっ。」とさけんだ。

 それはツルの首であった。

 背筋を冷たいものがすべり落ちた。
 さては、二羽のツルはめおとであったか。
 かわいそうなことをしてしまった。又十郎は、いまうたれたツルが、夫の首をつばさにだいてずっとくらしてきたことに気づいた。

 そのあくる日、又十郎は殿さまのお役ご免を申し出た。
 その後まもなく、山深い万倉の里(まぐらのさと:山陽小野田市万倉)で百姓をしている又十郎のすがたが見られたという。


題名:山口の伝説 出版社:(株)日本標準
編集:山口県小学校教育研究会国語部

豊徳園ホームページより

Posted on 2019/07/09 Tue. 09:37 [edit]

category: 山口むかし話

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09

白蛇伝 

白蛇伝


むかし、むかし、岩国の今津というところに、平太という漁師が母親と暮らしていました。

あるどんよりとした空模様の日のこと、平太は漁に出るのをためらっていましたが
「今日一日ぐらい大丈夫じゃろう」と、誘いにきた仲間といっしょに船を出しました。

漁を始めると、面白いように魚がとれます。
平太たちは、ぐんぐん沖へ向かってしまいました。

やがて、近くの島で昼飯をすますと、仲間の一人が白蛇をみつけました。

今までにみたこともない蛇なので、めずらしいやら、気味が悪いやら、仲間は手に木切れをもって、いたずらをはじめました。
右に行けば左へ、左にいけば右へはねつけられ、白蛇はとうとう傷ついたからだをまるめて、じっと動かなくなりました。

その様子をみた平太はかわいそうになって
「おい、みんな、もうよさんかい。この白蛇は、この島の主かも知れんぞな」
そういって、平太はおそれもなく白蛇をつかむと、草のしげみの中に逃がしてやりました。

それからまた、平太たちは漁を始めることになりました。
ところが、そのころになると、空はすっかり雨雲に覆われ、風も強くなって、たいへんなしけ模様となりました。
「あぶないぞっ」と、誰かが叫んだときには、もう皆は海に放り出され、波にのまれてしまいました。

それから、しばらくたって、平太がふっと気が付くと、さっき昼飯を食べた島の浜辺に打ち上げられていました。
あたりをみまわすと、あらしは止んでいて、空はからりと晴れわたっています。
「わしは助かったのじゃ」と、平太は喜びました。

しかし、よくよく考えてみると、この島には誰も住んでおらず、帰る船も助けを呼ぶこともできません。

思案にくれ、じっと岩に腰をおろしていると
「平太さん、平太さん…」と呼ぶ声が聞こえます。

「あ、さっきの白蛇じゃ」
平太が振りかえってみると、白蛇は平太の前を通りすぎて、海の中へはいっていきました。

すると、白蛇が通ったあとには、ざわざわと波がわかれて小道ができ、それはずーっと今津の浜まで向かっているのです。

「これで今津に帰れるかもしれん」
平太は、白蛇の後について、ずんずん歩き、とうとう今津まで帰り着くことができました。
「ほんとうにわしは助かったぞ」
ありがたいと思って、後ろを振りかえってみますと、通ってきた道は跡形もなく消えていました。
平太は、白蛇をそっとふところに入れて家に帰り、大切に飼うことにしました。

こうして、白蛇は今津に住みつき、平太は末長く幸せに暮らしたということです。

(玖珂郡)


山口銀行編纂 山口むかし話より転載

Posted on 2019/07/08 Mon. 11:51 [edit]

category: 山口むかし話

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08

長祖生きつね 

長祖生きつね


むかし、むかし、長祖生(ながそう)というところに、いたずらもののきつねが住んでいました。

そのきつねは、夜になると、道をとおる人をだましては、もち物をとりあげたり、わざと道をまちがえさせたりするので、人びとからは「長祖生きつね」といわれて、ひょうばんになっていました。

ある晩、たくましい若者四、五人が町から帰るとちゅう
「今夜あたりきつねが出んもんかのう」
「わしらがこらしめてやるのにのう」などといいながら、長祖生(ながそう)までやってきました。

すると、そのとき、船が岩に乗りあげたらしく、浜のほうから、船頭(せんどう)がしきりに助けをもとめていました。
若者たちは、海にはいり、岩から船をおろそうと、力をあわせて船をおしました。
しかし、船はなかなかうごきません。

そのうち、夜が明けてみると、なんと今までいっしょうけんめいおしていたのは、船ではなく浜の大岩でした。

「わしらも、きつねにいっぱいくわされたわい」
と、若者たちは、たいそうくやしがりました。

また、ある晩のこと、おしょうさんが長祖生(ながそう)を通りかかると、女の子がひとりで、しくしく泣いていました。
おしょうさんは「長祖生きつねにちがいない」と見やぶり、こらしめてやろうと声をかけ、背なかに背おいました。

しかし、おしょうさんが寺に帰りつくと、きつねは背なかからすりぬけてしまいました。

部屋を見まわすと、床の間のほていさんが二つになっています。
そこで、ほていさんを線香でいぶすと、一つがとびだしました。

すると、こんどは茶がまが二つになっています。
しかし、一つはかたちが長いので、それを火にかけました。
さすがのきつねもたまらず、とうとうすがたをあらわし、おしょうさんに手をついてあやまりました。

そこで、おしょうさんは、念のために、きつねから「わび証文(しょうもん)」をとって、ゆるしてやりました。

(注)ほていさん…七福神(しちふくじん)の一人で弥勒菩薩(みろくぼさつ)の化身(けしん)。ここでは置物のこと。

その、よく晩のことでした。
おしょうさんのへやのしょうじをたたくものがいるので、あけてみると、きつねがおりました。
そして、ゆるしてもらったお礼にと、みごとな鯛を二尾おいて帰っていきました。
「なるほど、きつねも本心に返ったようじゃな。もう、これからは、いたずらもしまい」

そして、そのあくる朝のことです。
きつねがわざわざもってきてくれた鯛をと、しまっておいた戸だなの中をのぞいてみると、そこに鯛のすがたはなく、大きな葉っぱが二枚かさなっていた、ということです。

(玖珂郡)

Posted on 2019/07/06 Sat. 10:01 [edit]

category: 山口むかし話

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06

みょうがの宿 

みょうがの宿


むかし、むかし、吉敷(よしき)郡の嘉川(かがわ)という宿場に、欲の深い夫婦が宿屋を営んでおりました。

しかしそのわりにはもうからず、夫婦は番頭や女中たちに小言ばかりいっていました。

そうしたある夏の日の夕方のことです。
客引きに出ていた番頭があわてて帰って来て
「今、えろう景気のいい客人を七人もおつれしました」と、にこにこ得意顔で申すのでした。

表を見ると、身なりのよい客人たちが着いたばかりのところです。
「何でも宮島様へのお礼詣り(おれいまいり)じゃそうで、たんまり銭子(ぜにこ)はあるから、ええ部屋に通してくれとおっしゃるのです」

聞いて、宿の主人はとたんにほくほく顔。
番頭に座敷へ案内させると、女房を呼んで相談しました。

「今夜の客は、えろう持っとるそうじゃで、何かごっそりとつかわせる手はないもんかいの」
というと、女房は
「そうそう、みょうがをたくさん食べると、もの忘れをするということじゃ。みょうがのごちそう責めで、客人のさいふを忘れさせることにすりゃええじゃないかいの」
といいました。

すると主人は、奥の座敷へ飛んで行き
「手前ども自慢の暑気払い(しょきばらい)の料理“みょうがの重喰い(かさねぐい)”というものを差し上げることにいたしとうござります」
と、うまいこと挨拶しました。

客人たちは
「空腹じゃで、一刻も早う、それで頼みますじゃ」と、機嫌のよい返事をしてくれました。
主人はほっと安心し、すぐさま帳場にいってみょうが料理の指図をしました。

「うまい具合にいったわい」
と、欲の深い夫婦はわくわくしながら互いに顔を見合わせて、うなずき合いました。

その翌朝、客人たちはまだうっすらと暗いうちに、支度もそこそこに、たって行きました。

客人を送り出して、みんながほっとしていたころ
「忠助や、忠助や」呼ばれて番頭の忠助が主人の前にかしこまると
「あれだけみょうがを食べりゃ、さいふの四つや五つぐらいは忘れていったに違いない。早う座敷を見てくるんじゃ」
主人にいわれて番頭は、奥の座敷へ飛んで行きました。

しばらくして帳場に戻ってきた番頭に主人がたずねますと
「座布団や布団の下、押し入れまでみましたが客人たちの忘れもんは、何一つござりません」と、両手を鼻の先で振るばかりでした。

「そんなことあるもんかい」主人が女房と奥の座敷に行こうとすると
「旦那さま、それはそうと客人たちからゆうべの泊まり賃もらいうけましたかい」番頭がたずねましたが
「いや、わしは知らんが、お前もらってくれたかい」女房にたずねますと、女房は女房で
「いやぁ、わたしゃお前さんがもろうたもんと思っちょりました」といったので
「しもうた。あんまりみょうがを食べさせたんでかえって宿賃はらうのを忘れて行ってしもうたわい」
宿屋のみんなは大騒ぎし、あわてだしたということです。

(吉敷郡)


山口銀行編纂 山口むかし話より転載

Posted on 2019/07/04 Thu. 11:30 [edit]

category: 山口むかし話

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04

酒垂山の紫雲 

酒垂山の紫雲(さかたりやまのしうん)~防府市~


 今からおよそ千年ほどむかしのことだ。

 このあたりでは見かけない船が一そう、勝間の浦(かつまのうら:防府市)に流れ着いた。
 海辺の冷たい風が肌をさす、2月のある夕暮れのことであった。
「えらい大きな船じゃのう。どこから来たんじゃろう。」
「漁をする船じゃないで。だれが乗っておいでたんかのう。」
 漁師たちが、がやがや言いながら浜辺に集まってきた。

 しばらくすると、船からりっぱな着物を着た人たちがおりてきた。その中の供らしい男が、つかつかと漁師たちの方へ近づくと、
「われわれは、菅原道真公(すがわらみちざねこう)の供をして大宰府(だざいふ:福岡県)にむかうところである。長い船旅で、道真公がたいへんお疲れになっているので、どこぞで休ませてもらえぬか。」
 と、言った。

 漁師たちは、たいへん驚いた。
 道真公といえば、後に学問の神様といわれるほどの名高い人だ。それに右大臣という高い位の人だ。
 漁師たちは、しばらく話し合っていたが、やがてその中の一人が、
「せまくてきたないところですが、どうぞおいでください。」
 おそるおそる、一軒の家に案内した。

 その家の中はうす暗く、魚をとる網やびくが、土間のかたすみにおいてある。
「さぞお疲れでございましょう。何もございませんが、これでもどうぞおめしあがりください。」
 と、お茶とありあわせの食べ物をさし出した。
 かべの落ちた、よごれたまずしい家、それに、そまつな食べ物であったが、里人のあたたかい気持ちが、道真には何よりもうれしかった。

 次の日の朝、この地の国司(こくし:役人)の信貞(のぶさだ)は、道真を国府(役所)のやかたへ案内し、そして大切な客としてもてなした。道真は、その晩はひさしぶりにゆっくりと休むことができた。そして、それからしばらくの日を、そのやかたですごさせてもらうことにした。そのひまひまに、詩や歌を作ったり、本を読んだりしていた。

 そんなある日、信貞は、
「道真様、あまり学問ばかりなさっていると、おからだにさわります。すこしこのあたりをお歩きになって、ゆっくりとなさってはいかがでしょうか。」
 と言って、道真を酒垂山(さかたりやま:現天神山)へ案内した。

 小高い酒垂山には、枝ぶりのよい松の林があり、その間からは、佐波の青い海が見えた。海に浮かぶ数々の島じま、塩を焼く煙が静かにたちのぼるようすは、まるで絵のようなながめであった。
 道真は、この美しい景色を、いつまでもあきることなくながめていた。そして、信貞に、
「ここは、まだ都と陸続きなのだろう。できることなら、ここでずっと暮らしたいものだ。」
 と言った。
 きっと、都に残してきた妻や子どもたちといっしょに、この美しい景色をながめて、ここでくらしたいと思われたのであろう。

 道真は、都で活躍していたのだが、道真をねたむ人たちの悪だくみにあって、遠くはなれた九州の役人として、都を追われたのだった。とつぜんのことだったので、こうしてわずかの供をつれて、九州の大宰府へ下るとちゅうであった。

 話を伝え聞いた里の人たちは、道真のことを気の毒に思い、深く悲しんだ。道真は、
「そう悲しむことはない。わたしは悪くないのだから、いまに、きっとこの罪は晴れるだろう。」
 という意味の歌をよんで、里人をなぐさめたという。

 こうして、国司や里人とともに暮らしているうちに、とうとう九州へいかなければならない日がやってきた。
 その日は、秋の風が気もちよくふき、波も静かないい日であった。
 道真は、酒垂山を見上げて、
「わたしが、もし、大宰府で死ぬようなことがあったなら、わたしの魂はかならず、この勝間の里に帰ってくるであろう。」
 と言って、勝間の浦から船に乗り、九州へむかった。

 道真が大宰府に着いてみると、建物は古びて雨もりがするほどであった。
 しかし、道真は都へ帰れる日を待ちながら、詩を作ったり、本を読んだりして、毎日を過ごしていた。
 ところが、もともとじょうぶでなかった道真は、すっかり身体をこわしてしまい、それがもとで、大宰府に来てから三年たった二月二十五日、とうとうなくなってしまった。五十九歳であった。

 ちょうどその頃、酒垂山にふしぎなことがおこった。
 いままで澄み切っていた酒垂山の空に、紫色の雲がわき出しかと思うと、みるみるうちに空いっぱいに広がっていった。
 そして、勝間の浦には、はるか西の空から五色の光がかがやいた。
「これはどうしたことだ。」
「きっと、何かたいへんなことが起こる前ぶれにちがいない。」
「それにしても、ふしぎなことじゃ。いったいどうしたというのだろう。」

 紫に染まった空、五色にかがやく佐波の海。
 余りの美しさに、国司信貞も里人たちも、みんな浜辺に出て、このふしぎなようすをながめていた。

 このふしぎなできごとから何日かたってから、道真がなくなったというしらせがとどいた。
「では、あのふしぎなできごとは、道真公の魂がここへお帰りになったしるしだったのか。」
 信貞は、勝間の浦をたつときに残した言葉を思い出した。

 そして、道真が愛していた酒垂山のふもとに小さな社(やしろ)をたて、道真をまつった。これが防府天満宮(ほうふてんまんぐう)の起こりである。
 いまも、毎年、秋になると、おおぜいの裸の男たちにより、神幸祭(じんこうさい)と呼ばれる祭りが行われている。
 これは、里人たちが、道真を勝間の浦まで送ったようすをしのんで、網代車(あじろぐるま)にご神体を乗せ、勝間の浦まで運ぶ行事である。
 また、紫色にかがやく雲がわき起こったことを長く伝えるために、天満宮の境内には、紫雲石(しうんせき)がまつってある。


題名:山口の伝説 出版社:(株)日本標準
編集:山口県小学校教育研究会国語部

豊徳園ホームページより

Posted on 2019/07/03 Wed. 11:16 [edit]

category: 山口むかし話

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