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彦島のけしき

山口県下関市彦島から、風景・歴史・ものがたりなど…

紙すき毛すき 

紙すき毛すき

 むかしむかし、周防や長門(すうお・ながと→山口県)の農家では、楮(こうぞ)と言う植物で紙をすいて、それを米の代わりに年貢として納めていたそうです。

 ある山里(やまざと)に弥兵衛(やへえ)という若い百姓がいて、とても美しい女房と二人で紙をすきながら暮らしていました。
 その頃、代官所(だいかんしょ)には勘場(かんば)といわれる所があって、そこに年貢などの検査する役人がいたのですが、その役人が弥兵衛の美しい女房に心を奪われて、毎日の様に弥兵衛の家へ来る様になったのです。
 もちろん役人の目当ては弥兵衛の美しい女房でしたが、実は他にもう一つの目的がありました。
 その目的とは、
「やれやれ、毎日の様に通ってやっているのに、今日も茶と茶菓子だけか。
 他の者なら、わしがこれだけ訪れれば、
『どうぞ、これをお納め下さい』
と、いくらか金を包んで渡してくれるものじゃが。
 ・・・弥兵衛の礼儀知らずめ、今に見ておれよ」
と、賄賂(わいろ)の要求だったのです。

 そんなある日、勘場から弥兵衛に呼び出しがありました。
「はて? 何事だろう」
 弥兵衛が勘場に行くと、代官が怖い顔で納めた紙を突き返したのです。
「この頃、お前が納める紙は、どうしようもなく質が悪い。すぐに納めなおせ」
「はて、そんなはずは?」
 弥兵衛がその紙を見ると、それは自分が納めた紙とは全く別の、とても質の悪い紙だったのです。
(どうして、こんな事に?)
 弥兵衛は首を傾げましたが、ここで言い訳をしても信じてもらえそうにないので、
「わかりました。すぐに代わりを、持って来ます」
と、新しい紙を納めなおしました。
 するとまた、弥兵衛は勘場から呼び出されたのです。
「弥兵衛! 前にも増して、質の悪い紙を納めるとは何事だ!」
 そう言って突き返されたその紙も、自分が納めた紙ではありませんでした。
 そこで弥兵衛は、代官に言いました。
「お代官さま。おそれながら、申し上げます。この紙は、わたしがお納めしました紙ではございません」
「言い訳をするな! 見苦しいぞ!」
「・・・・・・」
 こんな事が、それから何度も繰り返されました。

 ある日、代官が弥兵衛にたずねました。
「お前は毎度毎度、納めた物と違うと言うが、何か証拠でもあるのか? 証拠でもあれば、わしも何とか出来るのだが」
「証拠ですか」
 するとその時、弥兵衛に一つの名案が浮かんだのです。
 弥兵衛は自分の髪の毛を切って、それを紙のすみに一本ずつすき込み、自分の紙の目印としたのです。
 そしてまた、弥兵衛は自分の物とは違う質の悪い紙を突き返されたので、代官に言いました。
「お代官さま、おそれながら、これはわたしがお納めしました紙ではございません。わたしがお納めしました物には、確かな目印がありますので」
「目印とな?」
「はい、わたしの紙のすみには、わたしの物である確かなあかしに、わたしの髪の毛を短かく切った物を一本ずつすき込んであります。どうか、お調べ下さい」
「わかった。待っておれ」
 そこで代官が家来に命じて調べさせると、確かに髪の毛をすき込んでいる紙がありました。
 しかもそれは、一番出来が良いと評価された紙だったのです。
 この時、代官は、これが全て勘場の役人の仕業であると気づきました。
 しかしそれを認めてしまったら、代官所の信用が落ちる事になります。
 そこで代官は、口封じにこう言ったのです。
「その方、御上納(ごじょうのう)の紙に、けがらわしい髪の毛をすき込むなど、まことにふとどきな奴じゃ! すぐに引き立てい!」
 そして弥兵衛は女房に会う事も許されないまま、次の日の朝早くに首を斬られてしまったのです。

 その後、代官が調べてみると、弥兵衛の家に毎日訪れていた役人が、賄賂を出さない弥兵衛をおとしいれようとして、弥兵衛の納めた紙を別の悪い紙とすり替えていた事がわかりました。
 そしてその役人は弥兵衛が首を斬られたその日から謎の熱病にかかり、髪の毛をかきむしりながら苦しみ続けて、数日前に死んでいたという事です。


山口県の民話 福娘童話集より
http://hukumusume.com/douwa/index.html

Posted on 2018/02/05 Mon. 12:36 [edit]

category: 山口むかし話

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05

滑と弘法大師 

滑と弘法大師(なめらとこうぼうだいし)山口市徳地


 平安時代の初め(今から約1200年前)頃、四国・讃岐(さぬき 今の香川県)の生まれである弘法大師が、諸国へ教えを説いて歩かれたことは名高く、いろいろな地方に伝説として残っています。

 ある時の秋、弘法大師は、柚木(ゆのき 山口市徳地)地区の巣垣(すがき)というところから山越えで八坂(やさか)に出られました。
 巣垣の方から険しい山道を歩かれた大師は、とある谷川にたどりつかれました。あたりは、紅葉した木々がせせらぎの冷たい流れに影を落とし、木陰からもれる日の光が、優しくからだを包んでくれました。
 この美しさにほっとして腰を下ろした大師は、ふと、足元の流れの中に、赤い色をしたとても滑らかな石を見つけられました。
「おお、なんとも良い滑らかさじゃ。これからは、このあたりを滑(なめら)と呼ぶとよかろう。」と言われました。

 大師は腰を上げ、足を進められました。
 しばらく行くと、入り口も出口もわかりにくいようなところに行きつきました。
「ここは身を隠すのに都合のよいところじゃ。出口も入り口もないないようなところだから、ここを口無(くちなし)と呼ぼう。」と言われました。

 また歩いて行かれました
 すると、秋の午後の陽射しを受けて、柿の実が三つ、美しい色に照り映えていました。
「ああ、見事じゃ。きれいな柿じゃ。それも三つなっている。ここは三成(みつなりじゃ。」
 と名づけられました。

 大師は疲れた足をさらに進められましたが、つるべ落としといわれる秋の日は短く、山は特に早く日が落ちて足元もおぼつかなくありました。

 すっかり日が落ちてしまった時、
「ここを日暮(ひぐれ)と呼ぼう。」と言われました。

 ほどなく、広い広い野原にさしかかりました。その時、
「これより広い山の上はあるまい。ここを山の上と呼ぼう。」と言われました。
 その広い野原を通り抜けてまもなく、山のかなたから、明るいお月様が登って来ました。
 ちょうど、満月の宵だったのでしょうか。そのお月様は、手を伸ばせば届きそうなほど大きなお月様でした。

「まことに見事。このように素晴らしい月が登る地は、ここをおいて他にはなかろう。ここを大月(おおつき)と名づけよう。」と言われました。
 こうして大師がつけられた地名は、今もそのまま残っています。


文:山口市徳地教育委員会発行「徳地の昔ばなし」より引用

Posted on 2018/02/04 Sun. 10:24 [edit]

category: 山口むかし話

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04

夫婦 

夫婦
山口県の民話


 むかしむかし、言い伝えによると人間は、夫婦が背中合わせにくっついて生まれてきたそうです。
 ある日の事、大勢の人間たちが集まって、神さまにお願いしました。
「神さま。わたしたち夫婦は、背中と背中とがくっついているので、夫婦でありながら女房や夫の顔を見る事が出来ません。どうか自分の女房や夫の顔が見られるように、背中を割っていただきたいのです」
 すると神さまは、
「なるほど、それは、もっともな事じゃ」
と、夫婦のくっついた背中を割ってくれたのです。
 こうして夫婦の背中が一斉に割れたのですが、普段から顔を見ていない二人ですから、一度見失うと誰と誰が夫婦だったのか、分からなくなってしまいました。
 そこで人間たちは困ってしまい、また神さまにお願いしました。
「願い通り、背中を割ってもらいましたが、今度は誰が夫婦の片割れであったのか、見分けがつかなくなりました。何とかして下さい」
 すると神さまは、
「それでは、お前たちに愛という力を与えてやろう。外見や目先の利益にこだわらずに、その愛を信じて相手を探せば、必ずや、夫婦として生まれた片割れを見つける事が出来るであろう」
と、人間に愛という力を授けてくれたのです。

 人間は、時には外見、時にはお金や地位などの利益に目がくらんで、愛という神さまから頂いた力を使わずに夫婦となる人がいますが、それでは末永い幸せを手にする事は出来ません。
 外見や利益に惑わされず、愛という力を信じて夫婦として生まれた片割れを見つければ、必ずその二人は、末永い幸せを手に入れることが出来るでしょう。

おしまい

Posted on 2018/02/03 Sat. 10:29 [edit]

category: 山口むかし話

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03

大つごもり長者 

大つごもり長者


むかし、むかし、ある山里に、たいへん情け深いおじいさんとおばあさんが、仲良く暮らしておりました。

ある年の暮れのこと、お正月のおもちを買うために、二人は雪よけ笠をつくって町で売ることにしました。
しかし、まだ十二しかできないうちに、大つごもりになりました。
もうあすはお正月です。
おじいさんは、できたての笠をもって、雪の山道をくだって町の方へ出かけました。

その途中のことです。
石の地蔵様が頭から雪をかぶって、寒そうに立っておられました。
おじいさんは気の毒に思い、地蔵様の頭や肩の雪をはらって、持っていた笠を一つ、かぶせてあげました。

それから少し行ったところに、またお地蔵様が寒そうに立っておられました。
おじいさんは、また一つ笠をかぶせてあげました。
「あと十も残っているから、まあええ」と思いながらまた、歩きはじめました。

こうしてとうとうおじいさんは、持っていた十二の笠を、みんな途中に立っていた地蔵様にかぶせてあげました。
そして売る笠がなくなったおじいさんは、町へ行くのをやめて、家に帰ることにしました。

その帰り道のことです。
雪の降る中を笠もかぶらずに、ひょろひょろと今にも倒れそうな、とても気の毒なおばあさんに出会いました。

情け深いおじいさんは、おばあさんに
「もしもし、どうなされたかや」と、声をかけました。
すると、そのおばあさんは、きのうから何も食べていないと答えました。
おじいさんは気の毒に思い、自分の弁当とかぶっていた笠をおばあさんに渡しました。

すると、おばあさんは、一つの小さな袋を取り出し、
「これは宝袋という不思議な袋じゃそうです。お礼にどうぞうけてくだされませや」と、おじいさんに渡しました。
おじいさんは不思議に思いながらも、家へ帰りました。

その夜明けのこと、「えいやさあ、よーいやさあ」という掛け声に、どさりと何やら物音がしました。
おじいさんとおばあさんが、そっと戸を開けてみると、つきたてのおもちがたくさん置いてありました。
二人は驚いて向こうを見ると、笠をかぶった十二人の地蔵様たちが帰って行くところでした。

「ありがたや」と二人がふしおがんでいると、おじいさんのふところから、ぽろりと、気の毒なおばあさんにもらった宝袋が落ちました。
おじいさんが開けてみると、小判が一枚はいっていました。
不思議に思って、もう一度開けてみると
二枚、四枚と、開けるたびに小判はどんどん増えていきます。

次の日の朝、二人は、気の毒なおばあさんに小判を返そうと探しましたが、どこにも見当たりません。

おじいさんとおばあさんは
「これも神様がおさずけくださったのじゃろう」
と、大喜びし、たちまち大金持ちとなって幸せに暮らしたということです。

(阿武郡)


山口銀行編纂 山口むかし話より転載

Posted on 2018/02/02 Fri. 10:12 [edit]

category: 山口むかし話

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02

狐をだました話 

狐をだました話


むかし、むかし、うららかな春の日のことです。太吉という若者が、一生懸命に畑を耕しておりました。

そろそろ昼飯にしようと、木にかけておいた弁当をとりに行くと、どうしたわけか弁当が見当たりません。

次の日も、またその次の日も弁当がなくなるので、不思議に思った太吉が、狸寝入りをしながら草むらから様子をうかがってみると、ひょっこりあらわれた一匹の狐が、器用に弁当をとって行きました。

「ははん、狐がいたずらしちょったんか」
と、うす目をあけて、また様子をうかがっていると、そこへ一匹の狸がやってきました。

「狐さん、わしにも少々わけてくれんかいや」と、狸がいうと、狐は
「わけてやってもええがの。それより、わしと一緒に、明日、村の馬市でひともうけせんかいの」と、いいました。

「どんなことかいや」と、狸がたずねると、狐は得意げに話しはじめました。
「わしが馬に化けるから、お前さんは、それそこに寝ちょる太吉どんにばけて、明日の馬市に馬を売りに行くんじゃ。」

狐と狸は、太吉がこの話を聞いているとも知らず、たがいにうなずき合いながら山へ入って行きました。
太吉は、こっそりその後についていき、狐と狸が住んでいる穴を確かめると、一人ほくそ笑いをしながら家へ帰って行きました。

あくる日の朝、太吉はまっすぐに狸の穴に行き、大きな石で穴をふさいで、出られないようにしました。そして、つぎに狐の穴へ行くと
「おいおい、狐さん、早く馬市へ出かけよう」と、狸のふりをして声をかけました。
穴から出てきた狐は、太吉をみると
「うまく化けたもんじゃわい」と、感心し、自分もさっそく見事な仔馬に化けました。

「それじゃ出かけよう」と、太吉は何くわぬ顔で、狐が化けた仔馬をひいて、馬市に出かけました。

たくさんの馬飼いたちが仔馬に値をつける中、太吉は
「ええ馬じゃが、こいつは気が荒い馬での、こうして後ろ足をしばっちょかんとあぶないんじゃ」
と、仔馬をぎゅうぎゅう荒縄でがんじがらめにしばりました。

そのうちに一人の馬飼いが七両の値をつけたので、太吉は喜んで仔馬を渡すと、さっさと帰ってしまいました。
狐も逃げようとしましたが、しばられているので動けません。
そうこうしているうちに苦しくなって、ヒヒンと鳴くのを、うっかりコンコンと鳴いてしまい、とうとう、馬飼いたちにばれてしまいました。

「こりゃあ、狐じゃわい」と腹をたてた馬飼いたちに狐は驚いて
「お助けください」と、ひらあやまりにあやまりました。
すると、太吉から仔馬を買った馬飼いが
「さっきの七両を太吉からとりもどすまでは、ゆるされんわい」といいました。

これを聞いて狐はいっそう驚き
「ひゃあ、あれは太吉どんじゃなく、わたしの仲間の狸が化けたもんです。お金は必ずとりもどしますけえ、お助けください」と、泣いてあやまりました。

これを聞いた馬飼いたちは
「太吉どんに迷惑のかかるところじゃった」と、あっけにとられてしまいました。

こうして太吉は、まんまと大金をもうけ、狐に仕返しをすることができた、ということです。

(都濃・佐波郡)


山口銀行編纂 山口むかし話より転載

Posted on 2018/02/01 Thu. 10:37 [edit]

category: 山口むかし話

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01

まだわからん 

まだわからん


 むかしむかし、何日も何日も日照りの続いた年がありました。
「せっかく蕎麦(そば)をまいたばかりなのに、このままでは蕎麦が全滅してしまうぞ」
 お百姓はそう言いましたが、何日かたって孫が畑へ行ってみると、少しも雨が降っていないのに蕎麦が青々と生えていたのです。
「じいちゃん! じいちゃん! 蕎麦が生えているぞ!」
 それを聞いたお百姓も、大喜びです。
「そうか、そうか。蕎麦は少々の日照りでも生えると言うが、今年の様なひどい日照り続きでも生えてきたか。だが、蕎麦の花が咲いて、蕎麦の実を実らせるまでは安心は出来んぞ」
 するとそれから何日かたって孫が畑へ行ったら、蕎麦が大きくなって花を咲かせていたのです。
「じいちゃん! じいちゃん! 畑一面に蕎麦の花がまっ白に咲いているぞ。これで蕎麦が食えるな」
「いいや、まだまだ。ちゃんと実るまではわからんて」
 それからまた何日かたって、再び畑へ行った孫が言いました。
「じいちゃん! じいちゃん!
 蕎麦に、まっ黒い三角の実がいっぱい実っているぞ。
 これで間違いなしに、蕎麦は食えるな」
 しかしお百姓は、首を横に振って、
「いいや、物事は最後の最後までわからんぞ」
と、言うので、孫はお百姓をせかして言いました。
「それじゃあ、今から蕎麦刈りをしよう」
 そこで二人は蕎麦を刈って、刈った蕎麦を干して、それから家へ持って帰って叩いて蕎麦の実を取り出しました。
「じいちゃん! じいちゃん! これでもう蕎麦が食えるな」
 孫がそう言いましたが、お百姓はやはり首を横に振って、
「いいや、まだわからんぞ」
と、言うのです。
 そこで孫は蕎麦を臼(うす)にかけて粉をひいて、その粉に少しずつ水を入れてこねると板状にして包丁で細長く切りました。
 そして熱々のお湯で蒸すと、いよいよ蕎麦の完成です。
 すると孫が、お百姓にニンマリと笑って、
「じいちゃん! じいちゃん! これでいよいよ蕎麦が食えるな。なんぼ、じいちゃんでも、ここまでくれば、『いいや、まだわからんぞ』とは、言わんだろう」
と、言いました。
 ところがお百姓は、
「いいや、まだわからんぞ。口に入るまではな」
と、言うのです。
 すると孫は、ケラケラと笑って、
「いくら何でも、そこまで心配する事は」
と、その蕎麦をそばつゆにもつけずに、口の中にかきこもうとしましたが、
「あっ!」
と、孫はうっかり手を滑らせて、蕎麦をざるごと目の前の囲炉裏の灰にぶちまけてしまったのです。
 するとお百姓は、
「それ見ろ、だからわしは、物事は最後の最後までわからんと言っただろう」
と、笑いながら言って、はんべそをかく孫に自分の分の蕎麦を食べさせてやったと言うことです。


山口県の民話 福娘童話集より
http://hukumusume.com/douwa/index.html

Posted on 2018/01/31 Wed. 11:03 [edit]

category: 山口むかし話

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31

白狐の湯 

白狐の湯(びゃっこのゆ) ム山口市ム


 毎年五月になると、湯田(ゆだ 山口市湯田)で、温泉祭りが行われる。
 このまつりには、「白狐おどり」など、白狐にまつわるもよおしがさかんに行われる
 この話は、湯田温泉のおこりとして、いまに語りつがれるふしぎな話である。


 今から五百年ほどむかしのことである。
 湯田の近くに、権現山(ごんげんやま)とよばれる小さな山があった。そのふもとに、ふかい木立(こだち)にかこまれた古いお寺があった。

 ある春の夜のことである。
 だん家の法事にまねかれたおしょうさんは、ついつい引きとめられて帰りがおそくなった。その家を出たのは、だいぶ夜もふけたころであった。ほろようかげんのいい気持ちであった。あぜ道を通りすぎ、寺の境内(けいだい)にさしかかったときである。
 しんとしずまりかえった境内のおくから、ピチャピチャというみょうなもの音が聞こえてきた。おどろいて耳をすますと、ピチャピチャという音が、間をおいては聞こえてくる。
 いまごろ、なんの音じゃろう。
 おしょうさんは、音のする方へ足音をしのばせていった。池のそばまできて、ふっと足をとめた。

 白キツネが一匹、月の光にてらされて、池に足をひたしていたのだ。その白キツネは、ときおり水をかいては休み、水をかいては休みしている。みょうなもの音は、この白キツネの水をかく音だったのだ。
 なお、じっと見つめていると、人の気配(けはい)に気づいたのか、すばやく池からはい上がって、あたりをきょろきょろ見まわした。
 それから、後ろ足をかばうように、ぎこちない走り方で権現山のしげみの方へ消えていった。
「はて、白キツネが、なぜこんな夜ふけに池の中にはいっているのじゃろう。」
 おしょうさんはふしぎに思いながらも、その夜は、そのまま、寺に帰ってねてしまった。

 つぎの日の夜なか、ふと目をさますと、また、あのピチャピチャという音が聞こえてきた。
 さてはまたあの白キツネかと、おしょうさんはそっと起き出して、月明かりの中を池にしのびよっていった。
 やはり、きのうの白キツネであった。白キツネは、ひとしきり池に足をひたすと、ぎこちないあの走り方で権現山の方へさっていった。

 その次の晩も、またそのつぎの晩も同じようなことがくりかえされた。
 七日目の晩がやってきた。
 白キツネは、きまったように池に足をひたし、きまったように権現山へ帰っていった。ただちがうことがひとつあった。
 それは、いつもと走る方がちがうことだった。
 つぎの日から白キツネは、姿を見せなくなった。

「さてさて、みょうなことがあるもんじゃ。どうして足がよくなったのじゃろう。」
 おしょうさんは、ふしぎに思って池に足をひたした。
「やっ、水があたたまっておる。」
 池の水が、ちょうどよいあたたかさになっていた。においをかぐと、温泉のにおいがする。
「これでやっとわかった。あの白キツネ、いたむ足をひたしにここへやってきていたのじゃな。」
 おしょうさんは、さっそく里の村の人たちにこのこを話し、池の近くをほらせてみた。

 すると、思ったとおり、熱い湯がこんこんとわいてきた。
「湯だあ。湯が出たぞうっ。」
 村人たちはよろこびの声をあげた。
 ほりすすめる手にいっそう熱がこもった。なおふかくほりさげていくと、くわの先に固いものがあたった。ていねいに掘りだすと、どろまみれの仏像であった。おしょうさんが、池の湯でていねいにどろをおとすと、みごとな黄金の薬師如来(やくしにょらい)の像があらわれた。
 村人たちはひざまずいて、薬師如来像をふしおがんだ。


 その後、薬師如来像は、温泉の守り本尊として、池のほとりにたてられた堂におさめられた。
 この仏像をおがんで湯に入ると、どんな難病もたちどころになおるといわれ、湯に入りにくる人が後をたたなかったという。その後、だれいうとなく、「白狐の湯(びゃっこのゆ)」とよばれるようになり、いまに語りつがれている。


題名:山口の伝説 出版社:(株)日本標準
編集:山口県小学校教育研究会国語部

豊徳園ホームページより

Posted on 2018/01/30 Tue. 10:35 [edit]

category: 山口むかし話

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30

身代わり名号 

身代わり名号(みょうごう)~宇部市~


 いまから五百年ぐらいむかしの話である。
 長門の国(山口県)須恵の黒石(すえのくろいし:宇部市厚南区黒石)に蓮光(れんこう)というおぼうさんがいた。
 このおぼうさんは、もとは武将で、名前を伊東順光(いとうとしみつ)といった。
 順光は室町幕府の六代将軍足利義教(あしかがよしのり)の家来で、武芸にすぐれ、将軍にもしんらいされていた。

 ある年、順光に、悲しいできごとがつぎつぎと起こった。
 妻と子があいついで病死したかと思うと、こんどは将軍義教が家来に殺されるという大事件が起きたのだ。
 妻と子をなくした悲しみも大きかったが、主君が殺されたというおどろきもたいへんなものであった。すぐさま味方の武将と力を合わせてうら切り者をうちはたし、主君のかたきをとった。
 さきにいとしい妻と子をなくし、今また主君と別れてしまった順光は、生きていくはりあいをうしなって、とうとう仏の道にはいるけっしんをした。

 順光から話をきいた本願寺の蓮如上人(れんにょじょうにん)は、順光の心にふかくうたれ、弟子にむかえた。順光は、上人のもとでむちゅうになって仏の道を学んだ。
 何年もの修行をつんだあと、上人に、
「蓮光坊、おまえは西国(さいこく:今の九州地方)へ行って、仏教を広めてきなさい。」
 と、言われた。

 そこで蓮光は、上人からいただいた六字の名号(南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)の六字を書いたもの)と木仏をもって、ひとり九州へ旅立った。
 蓮光は、周防山口の湯田をへて、小郡から船にのった。船には、黒石の番所の富岡七兵衛(とみおかしちべえ)という役人がのっていた。蓮光と七兵衛は、半紙をしているうちにうちとけ、はじめから兄弟のように親しくなった。七兵衛は、黒石に住むようにねっしんに蓮光をくどいた。蓮光は、九州行きに心をのこしながらも、黒石に住むことにした。

 黒石の村に住むようになってから、田や畑であせを流している百姓(ひゃくしょう)や道で会う人たちに、蓮光はわけへだてなく声をかけ、元気づけた。人々の元気なすがたを見ては喜び、やまいに苦しむ人を見ては同情をしはげます毎日をおくった。

 そのうち、黒石の人々は、
「法師さま(ほうしさま:ぼうさん)の顔は、わたしたちとはどこかちがうようじゃ。」
「法師さまのおことばは、ほんとうにありがたいのう。生きかえるようじゃ。」
 と、蓮光を心からうやまうようになっていた。
 蓮光もまた、人々のかざりけのないあたたかさに心をひかれ、この村に住むことがほんとうに楽しくなっていった。

 その頃の須恵の黒石は、厚東川流域(りゅういき)のよい港だったので人の出入りも多く、蓮光のうわさは口から口へと広がっていった。蓮光をしたう人々はふえるばかりであった。
 そんな蓮光をおもしろく思っていない者がいた。土地の僧たちだ。僧たちは、黒石をおさめる大内の役人に、
「蓮光は、もともとは伊東順光という武将で、ひそかに大内のようすをさぐっているけしからん者です。」
「蓮光の教えはまちがっています。」
 と、ありもしないことをならべたてた。

 そのため蓮光は大内氏の役人にとらえられた。
 役人は、いつも罪人をさばくときのように、ろくにしらべもしなかった。

 蓮光は、
「わたしが仏の道を歩んでまいりましたのは、実は・・・・・。」
 と、心のうちをあかそうとしても、役人はそんなことは聞きたくもないというふうに、
「民びとの個々をばどわかしたお前の罪は、たいへん重い。」
 と、打ち首の刑を言いわたした。

 横州の浜で首をきられることになった蓮光は、その日から、牢の中でひとりしずかに念仏をとなえるようになった。

 いよいよその日がやってきた。

 刑場にむかうとちゅう、蓮光は、上人からいただいた名号を、役人の目をぬすんで中野(厚南区)の土地にうめた。
 刑場についた蓮光は、これから刑をうける人とも思えないほどおちつきはらっていた。目をとじ、手をひざの上にのせて、刑をまっていた。

 やがて刑の時こくになった。

 役人は、しずかに刀をとって、蓮光のうしろにまわった。
「えいっ。」
 役人は刀をふりおろした。
 刑場をぐるりとかこんで見守っていた村人たちは、顔をおおい、手をあわせた。

 念仏をとなえる村人たちの声がしずかにおこった。
 が、それはすぐにおどろきのどよめきに変わった。

 蓮光が、さっきと同じままの姿ですわってていたのだ。
 もちろん首はそのままに。

 首切役人は、青い顔をして、
「これはいったいどうしたというのだ。」
 と、ふるえる手に力を入れ、また刀をふるかぶった。

 が、その時だった。
「待てえっ、待てえっ。」
 大声でさけびながら、早馬が刑場にかけこんできた。城からの急ぎの使いだ。
「その刑は待たれい。法師さまには罪のないことがわかった。この土地での布教はゆるされたぞ。」
 使いの声は、山やまにこだました。
 役人はあわてて刀をおさめた。

 ゆるされた蓮光は、走るようにして中野にむかった。うめておいた名号をほりだすためだ。
 蓮光は、うめたあたりにつくと、急いで手でほりかえした。
「あっ。」
 蓮光は息をのんだ。手にとった名号はモ南無モの二字のところでふたつに切れ、真っ赤に染まっていた。

 話をつたえ聞いた村人たちは、
「なんでも、法師さまは、刀さえよせつけないりっぱな方だそうな。」
「いや、もっとふしぎなことは、名号のほうじゃ。あの名号こそ、法師さまのみがわりになられた、たっとい(尊い)ものだそうな。」
 うわさは国じゅうにひろがった。それからというもの、あちらこちらから蓮光をしたってやってくる人がたえなかったという。

 そののち、名号を埋めたあたりにお寺を建て、蓮光法師をむかえいれた。それが今の蓮光寺である。
 名号を埋めたといわれるところは名号塚といわれている。
 身代わりの名号は、今も寺の宝として、たいせつにしまわれている。


題名:山口の伝説 出版社:(株)日本標準
編集:山口県小学校教育研究会国語部

豊徳園ホームページより

Posted on 2018/01/29 Mon. 10:21 [edit]

category: 山口むかし話

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29

長者の森 

長者の森


 むかしむかし、ある山のふもとに二軒の家がありました。
 二軒の家は、どちらも貧しい炭焼きの家でした。
 ある日の事、一軒の家には男の子が、もう一軒の家には女の子が生まれました。
 そして二人の父親は、子供たちが大きくなったら結婚させる約束をしました。

 ところがこの女の子には、山の福の神がついていました。
 女の子が山へ行くと、ただの木の葉や石ころまで、みんなお金にかわってしまうのです。
 そんなわけで、女の子の家はお金持ちになっていきました。
 しかし男の子の家の方は、あいかわらず貧乏なままでした。
 やがて二人の子供が年頃になったころ、男の子の父親はむかしの約束を思い出して、息子を婿にしてくれと女の子の家に申し出ました。
 女の子の父親は約束を守り、二人は夫婦になりました。
 福の神のおかげで家はますます豊かになっていき、長者屋敷といわれる屋敷には、蔵がいくつもいくつも建ち並びました。

 さてそうなると、主人にはおごりが出てきました。
 遊びに出て夜遅く戻っては、冷めてしまった料理を見て、
「こんな冷たいものを、食べられるか!」
と、妻をどなりつけるのです。
 そこで妻は考えて、ある夜、熱いそばがきを出しました。
 しかし、ぜいたくに慣れた主人は、
「なんだ、こんなまずい物!」
と、言うと、足で蹴り飛ばしたのです。
 すると、ザワザワという音と共に、蔵からたくさんの穀象虫(こくぞうむし)と白い蛾(が)が出てきました。
 それは主人のふるまいに怒った福の神が、米を全部虫や蛾にしてしまい、自分も立ち去って行く姿だったのです。

 それからは主人は何をしても失敗ばかりで、やがて広い屋敷もなくなり、一家は行方知れずになってしまいました。
 それから月日が流れて、かつての長者屋敷は森になりました。
 人々はそれを「長者の森」と呼び、ぜいたくやおごった心を持たぬようにとの、戒めにしたということです。


山口県の民話 福娘童話集より
http://hukumusume.com/douwa/index.html

Posted on 2018/01/28 Sun. 10:55 [edit]

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28

雪舟駒つなぎの絵馬 

雪舟駒つなぎの絵馬 ~山口市~


 山口市の湯田温泉から西へおよそ4キロメートルばかりはいった吉敷の滝河内(たきごうち)というところに、龍蔵寺(りゅうぞうじ)という古いお寺がある。
 龍蔵寺は、今からおよそ千二百年も前に建てられたと伝えられる寺である。
 そのむかし、行基(ぎょうき)という僧が自分でつくた千手観音を安置し、龍蔵寺と名づけたという。

 この寺に雪舟という名高い絵かきがかいたと伝えられる古びた絵馬がある。

 これは、この絵馬にまつわる話である。

 雪舟が山口に住んでいたころというから、今から五百年も前のことである。
「じつにみごとな絵じゃのう。まるで生きちょるみたいじゃのう。」
「さすが、日本一の雪舟さまがかいただけのことはあるのう。りっぱなものじゃのう。」
 龍蔵寺の観音堂にかかげられた絵馬をみて、百姓たちは口ぐちにほめそやした。

 ところが、それからしばらくしてからのことであった。
 ある日のこと、たいへんなことがもちあがった。
 その日、吉敷の里の人びとは、秋のとり入れのこととて、野良でいそがしく働いていた。そこへ、ひとりの百姓が血相をかえてかけてきた。
「た、た、たいへんじゃ。わ、わ、わしの家のたんぼが、何ものかにあらされちょる。」
 ところが、たんぼがあらされているのは、その男のところだけではなかった。あっちの田んぼも、こっちの田んぼも、イネの穂は食いあらされ、ふみたおされていた。
「いったい、だれのしわざじゃ。」
「ほんとに、どこのどいつじゃ。」
「おや? こ、こりゃ、馬の足あとがある。どこかの馬がゆうべのうちにあらしたにちがいないぞっ。」
 ひとりがさけんだ。
「そねえいうても、夜中に馬をはなすものはおらんじゃろう。」
 百姓たちは、あれこれ話し合ったすえ、今夜からみんなで見張りをして、正体をつかもうということになった。

 真夜中のことを丑三つ時(うしみつどき)というが、その時刻になると草木もねむり、軒端(にきば)も三寸(約10cm)しずむという。とにかくさびっしい時刻で、化けものもこの時刻に出るといわれている。
 その丑三つ時とも思われるころ、月明かりの中をどこからともなく一頭の黒いはだか馬(くらをつけていない馬)があらわれたかとおもうと、ねずの番をしている百姓の前をつっぱしった。
 百姓たちは、あっというまのできごとに息をのんだ。それもそのはず、ついぞこの近くで見かけたことのない馬であった。
 百姓たちは、われにかえると
「おいかけえ!」
「あっちだあっちだ!いけいけえ!」
 黒い馬は、田んぼをふみ、畑をあらし、深い森をかけぬけて西へむかって走っていった。
「どこへいったあっ。」
「見失ってしもうたかーー。おしいことをしたのう。」

 百姓たちは、馬のゆくえをみきわめようと、その足あとをたどって走った。どれほど走ったか。百姓たちは、森をぬけ、坂をのぼった。あせが背をぬらした。息はきれ、足のつめからは血がにじんできた。
 つかれはて、百姓たちはうっそうとした木立のあたりですわりこんだ。みな、ぜいぜいとせわしい息づかいだ。

 と、
「こりゃ、どうしたちゅうことかい。」
 ひとりがとんきょうな声をあげた。
 意外にもそこは龍蔵寺の山門の中だったのだ。
「おかしいのう。龍蔵寺様には、馬をこうちゃおられん(かってはいない)はずでよ。」
 百姓たちは、そういいあいながら、寺のあちこちをくまなくさがしてみたが、馬などみつかるはずもなかった。

 あまりのふしぎさに、もう一度よくよくしらべてみようと、百姓たちは、また、馬の足あとをつけた。足あとは観音堂の前までつづき、観音堂の絵馬の前でふっと消えている。

 絵馬の馬が?

 みんなは絵馬をみあげて首をひねった。
 そんなばかなことはない。
 だが、この足あとはーー。

 雪舟のかいた絵馬があまりにもみごとなので、この馬がぬけだしてきたのにちがいない、そうだそれにちがいないと、百姓たちはそう思わないわけにはいかなかった。

 そこで、馬が絵馬からぬけ出さないようにと、雪舟におねがいして、はだか馬に手綱(たづな)をつけてもらった。
 それからというものは、吉敷の里には、田をあらす馬はいなくなった。
 村人たちは安心して秋のとり入れにせいをだしたという。

 龍蔵寺の山門のそばに大きな岩がある。その表面に、ちょうど馬のひづめの形ににたくぼみがある。
 それは、馬が絵馬からぬけ出したときにふみつけた足あとだと、言い伝えられている。

 龍蔵寺の絵馬は、今も龍蔵寺にあって、吉敷の人びとに大切にされている。


題名:山口の伝説 出版社:(株)日本標準
編集:山口県小学校教育研究会国語部

豊徳園ホームページより

Posted on 2018/01/27 Sat. 11:10 [edit]

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27

雨乞い禅師 

雨乞い禅師 (あまごいぜんじ)~美祢市~


 いまからおよそ600年前のことである。

 美祢地方は田植えの季節が近づいたというのに、いっこうに雨のふる気配がなかった。田や畑の作物はつぎつぎと枯れ、飲み水にもことかくありさまであった。
 このころ、人々は、長く続くいくさのため、身も心もすっかり疲れはてていた。そのうえ、この日照り続きである。百姓たちは、空を見上げては、「どうして雨は降らんのじゃろうかのう。」と、なげいていた。

 滝穴(たきあな:秋芳)から十町(約1km)ほどはなれたところに、自住寺(じじゅうじ)というお寺があった。
 このお寺に寿円(じゅえん)というおしょうがいた。ひごろから、苦しいことも楽しいことも村人たちと分かちあっているおしょうは、なんとかして村人たちのなんぎをすくいたいと思っていた。
 寿円おしょうが滝穴にこもったのは、その年の5月1日の夜明けのことであった。
 暗い滝穴にこもると、断食(だんじき)をして、昼も夜も念仏をとなえ続ける行(ぎょう)にはいった。
 3日たち、10日たち、やがて満願(まんがん)の21日めがきた。夜がしらじらと明けた。
 と、みるまに真っ黒な雲が空をおおいはじめ、雷がなりひびき、大粒の雨が大地をたたきはじめた。
 待ちに待った雨だ。
 村人たちは、家を走り出て、天をあおいで雨にうたれていた。
 願いがかなったことを見とどけた寿円おしょうは、しずかに手をあわせると、おりからの大雨でうなりをあげて流れ落ちる竜が淵(りゅうがぶち)の濁流(だくりゅう)の中へ、身を投げた。

 それから数日後、寿円おしょうのなきがらは、滝穴の下流の淵で見つかった。
 村人たちは、悲しみのうちに寿円おしょうをとむらった。
 そして、おしょうの徳を長く人々に伝えるために、火葬したおしょうの骨と灰をねって、寿円おしょうの座像をつくった。
 村人たちは、その座像を自住寺にまつり、いつまでも寿円おしょうの徳をしのんだということだ。
 その後、自住寺は雨乞い寺、寿円おしょうは雨乞い禅師とよばれるようになったという。


題名:山口の伝説 出版社:(株)日本標準
編集:山口県小学校教育研究会国語部

豊徳園ホームページより


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Posted on 2018/01/26 Fri. 10:05 [edit]

category: 山口むかし話

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26

猿地蔵 

猿地蔵


むかし、むかし、あるところに、正直で働き者のおじいさんとおばあさんが、まずしいながらもなかよく暮らしておりました。

ある日、おじいさんは、いつものように山へ木をかりにでかけました。

やがてお昼になったので、弁当を食べ、木の切りかぶにすわって休んでいました。
と、そのうちに、おじいさんは眠くなって、いつのまにか眠ってしまいました。
すると、そこへ、山から猿たちが出てきて、眠っているおじいさんをみつけました。

「あれ、こんなところにお地蔵さまがいてござる。もったいないことじゃから、みんなで川向こうの山のお堂へおまつりしよう」
こうして、眠っているおじいさんをお地蔵さまとまちがえた猿たちは、みんなで手車をくんで、おじいさんをかつぎました。

おじいさんは起きていましたが、だまって猿たちのするようにさせておきました。

そして、川を渡るとき、猿たちは
 「流れははやく水深く たとえわしらは流されようと お地蔵さまだけは流すまい」
と、はやしたてました。
おじいさんは、おかしくてしかたがありませんが、じっと目をつぶってこらえていました。

やがて、猿たちは、おじいさんをお堂にかつぎこむと、どこから持ってくるのか、かわるがわるに
「お地蔵さまにしんぜましょう」
と、たくさんのおさいせんやおもちやお米を、おじいさんの前にそなえました。

猿たちがいなくなると、おじいさんは、おそなえ物を集めてお堂をでました。
それから町へ出かけ、おばあさんにきれいな着物を買って帰りました。

そのあくる日、おじいさんとおばあさんが、猿たちにもらったごちそうを食べているところへ、となりのばあさんがやってきて、
「二人ともきれいな着物を着て、どねえしたのかいな」
と、うらやましそうにたずねました。
そこで、正直なおじいさんは猿たちのことを、となりのばあさんに話しました。

それを聞いたとなりのばあさんは、大いそぎで家に帰ると、さっそくとなりのじいさんを山へ出かけさせました。

山についたじいさんは、聞いたとおり、お地蔵さんのようにじっとすわりこみました。
すると、猿たちがきて、じいさんを運びはじめました。

そして、川をわたるとき、猿たちはまた、同じようにはやしたてました。
これを聞いたじいさんは、おかしくてなりません。
ぐっとおなかに力を入れてがまんしましたが、力を入れすぎてプッとおならをしてしまいました。

すると、猿たちは
「あれまあ、お地蔵さまがおならをするなんぞ、これはにせものじゃ、にせものじゃ」
と、じいさんを川に落としてしまいました。

じいさんは、ずぶぬれになって家に帰りました。

一方、ばあさんは、きれいな着物が手にはいると思い、古い着物をみんな燃やしてしまいました。

こうして、欲の深いじいさんとばあさんは、とうとう大かぜをひいてしまった、ということです。

(大島・玖珂・熊毛郡)


山口銀行編纂 山口むかし話より転載

Posted on 2018/01/25 Thu. 11:15 [edit]

category: 山口むかし話

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25

牛島の民話 

牛島の民話

丑森明神について


むかしむかし、牛島に甚兵衛という情け深い人が住んでいた。田んぼから牛をひいて帰ると、必ず海へ連れていって洗ってやり、そして「ほんとにご苦労じやったのう。よう働いてくれた。明日もまた頼むでよ」とねぎらいの言葉をかけるのが常であった。

ある日のこと、甚兵衛はいつものように牛を田んぼから牽いて帰ると、すぐに海へ連れて行った。
その日の仕事は平目の倍以上もあったので、甚兵衛は特別に念を入れて洗ってやり、「よう働いてくれて、ほんとに有り難うよ。明日からはゆっくりさせてやるからな」と、いたわりながら足腰をていねいにこすってやり、「さあヽ早ういんで、メシにするかのう」と、牛の手綱をとって浜から上がろうとしたが、その日に限って牛はどうしても甚兵衛のいうことをきかず、何度やっても四本の足を海中にふんばって動こうとしない。
そこへ折よく島の若い衆が通りかかり、すぐに海へはいって沖から牛を追いあげてくれたので、甚兵衛はほっとして家に帰った。

その夜のことである。甚兵衛は真夜中に体が焼けるように熱いのに驚いて飛び起きてみると家が盛んに燃えている。
火の回りが早くて家財道具を運び出すひまもなく、急いで牛小屋へ行ってみると、牛もすでに焼け死んでいた。 「あのとき海から上がろうとしなかったのは、こうなる予感があったからかな。ほんとに可哀相なことをしたもんだ」と、甚兵衛はまるでわが子を焼け死なせたように嘆き悲しむのであった。

それから数年が経過した。
ある日、畑仕事をしていた甚兵衛がふと空を見上げると、死んだ牛の形をした黒雲が島の上にゆっくりとおおいかぶさってきた。
「こりゃ、大変じゃ。」甚兵衛はそう叫んで急いで村へ帰り、「村のし、大変じゃど。今夜は火の用心をせんさいよI」と注意して回ったが、村の人たちは甚兵衛が気でもふれたのかと、ただ笑って別に気にとめるものもなかった。
ところが、その夜のことである。どこから出たともわからない火のために、島はまる焼け同様になってしまった。
こうした不審火がその後も数回つづいたので、いつのまにか「こりゃァ甚兵衛さんとこの、焼け死んだ牛の崇りじゃ」という噂が起こり、そのうちに誰がいい出したともなく、「村で牛の供養墓を立ててやろう」ということになり、話はすぐにまとまって共同墓地のなかにその牛の墓が建てられ、墓石には 「うしもり明神」と刻まれた。
これからのち島には火事らしい火事はなくなったという。


光市史 昭和50年3月31日発行

Posted on 2018/01/24 Wed. 10:27 [edit]

category: 山口むかし話

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24

水なし川 

水なし川(みずなしがわ)山口市


 山口市の湯田温泉の西を流れている川を「吉敷川(よしきがわ)」という。
 この川のことを「水なし川」ともよんでいる。

 今からおよそ千百年も前のことである。

 ある夏のあつい昼さがり、一本の杖をついた、みすぼらしいおぼうさんが、どこからともなくやってきて、この吉敷川の川辺に足を止めた。
「ああ、いい風がふいてくる。生き返ったようじゃ。」
 と、気もちよさそうにつぶやいて、そよふく風をこのうえなく楽しむように立っていた。

 ふと、お坊さんは、川岸で、せっせと洗濯をしているおばあさんを見つけて、その方へ歩いていった。
「おばあさん、まことにすみませんが、水をいっぱいもらえまいか。」
 と、声をかけた。

 おばあさんは、びっくりしたようにふりむいたが、お坊さんのみなりをみると、怒った顔をして、返事もせず、また、洗濯を続けた。
 お坊さんは、前よりももっとていねいに水をくれるようにたのんだ。
 するとおばあさんは、立ち上がって、お坊さんを見上げて、
「うるさいな。わしはいそがしいのだよ。お前みたいなこじき坊主の相手になっておれん。飲みたかったら、かってに飲んで、さっさと行っておしまい。」
 と、さも、憎らしげに言って、また、もとのように洗濯を続けた。

 旅のお坊さんは、
「おばあさん、おじゃましたね。」
 と、さびしそうに、水も飲まず、すたすたと立ち去っていってしまった。

 その年は、いつになっても雨が降らず、秋が近づくころには吉敷川の水はだんだん少なくなっていった。
 しかし、吉敷川の上流の方では水水がかなりあっても、ふしぎなことに、おばあさんが洗濯をしていたあたりまでくると、まるで水がなくなってしまうのである。
 そして、ここから八百メートルばかり下流になると、また、水がどこからともなくわき出て、流れはじめるのである。

 そのうち、だれ言うともなく、
「いっぱいの水ももらえなかった旅のお坊さんは、弘法大師(こぷぼうだいし)であったにちがいない。おばあさんの悪い心をこらしめるため、水の流れを止められたのだろう。」
 と、旅のお坊さんとおばあさんのことをうわさするようになったということである。

 それからは、吉敷の人は、吉敷に来るどんな人にも親切にしなくてはと、おたがいにいましめあったという。
 それからは、吉敷川を「水なし川」ともいうようになったという。


題名:山口の伝説 出版社:(株)日本標準
編集:山口県小学校教育研究会国語部

豊徳園ホームページより

Posted on 2018/01/23 Tue. 10:15 [edit]

category: 山口むかし話

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つる豆腐 

つる豆腐(周南市)


昔々、八代の里に年老いた父親と親孝行な息子が住んでおりました。
家が貧乏で、息子が毎日山から薪を作っては町へ売りに行き、やっと暮らしをたてえいました。

あるひ、息子が町から帰ってくる時、峠で一人の猟師が山田で餌を食べている一羽の鶴を鉄砲でねらっているのを見つけました。
息子は急いで小石を拾うと、鶴の方に向かって投げました。
鶴が驚いて飛び立つと同時にズドンと鉄砲がなりました。危ないところを鶴は助かりました。
息子に気づいた猟師は、息子のじゃまを知ってひどい剣幕で怒りました。
息子は仕方なく、せっかく町で得た薪(まき)のお金を差し出してやっと許してもらいました。
家に帰って父親に話すと父親は「それはよいことをした。と息子をほめました。

夕方、表の戸をトントンとたたく音がしました。開けてみると、若い美しい女が立っていて、「雪に閉じこめられて困っております。どうか一晩泊めて下さいませ。」と頼むのです。
「こんな見苦しいところでもよければどうぞ。」と招き入れ、いろりに薪を入れあたらせまた。
翌朝親子が目を覚ますと昨夜から水に浸しておいた豆で女が豆腐をたくさん作っていましたのでビックリしました。
「私は旅の者ですが、しばらくここに置いて下さいませ。」と言って、それからは毎日豆腐作りに精をだしました。
できた豆腐を町で売ると評判がよく、どんどん売れていきました。
一年もたつうちに親子の家は大変豊になりました。父親は女に「どうか息子の嫁になって下さい。」と。
「ありがたい話ですが、実は私は峠で助けていただいた鶴でございます。
ご恩返しに今日まで働かせていただきましたが、お二人のくらしも豊かになったようですので、私はこれでお別れさせていただきます」そういうと女はあっと驚く二人をあとにして鶴となって天高く舞い上がり、どこへともなく姿を消してしまいました。

Posted on 2018/01/22 Mon. 09:31 [edit]

category: 山口むかし話

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